その昔、とある位置ゲー(携帯のGPSなどを利用したスタンプラリー的なゲーム)でどうしても全国の離島を制覇しなければならない時代がありました。
おかげで北は利尻礼文から伊豆大島、隠岐、五島、奄美などなど、今まで行ったことのなかった離島をめぐるいいきっかけになったのですが、その中でも個人的に難易度が高かったのが「対馬」。
もちろん名前は知ってますが、まったく観光的なイメージがわかず、玄界灘の荒い海の先にある国境の遠い島、という感じだったので、なかなか足が向かなかったのです。
そんなわけで、とある年の冬、意を決して対馬に向かったのでした(なにもわざわざ冬の玄界灘越えなくてもよかろうに、とも思いましたが)。
博多から「フェリーちくし」で対馬へ
対馬へのアクセスは福岡や長崎からの飛行機が一番早いのですが、離島たびと言えばやっぱり夜行フェリーでしょう。
対馬への船は博多港から出航し、壱岐経由で対馬の南部にある厳原港行きと、対馬の北端、韓国にほど近い比田勝港行きの2種類の夜行フェリーが運航しているのですが、比田勝行きの「フェリーげんかい」は年季の入った、あまり大きくない船なので冬の玄界灘にはやや厳しかろう、と考えて今回は厳原行きの「フェリーちくし」に乗ることにします。
博多から対馬へは昼便のフェリーも、なんなら所要2時間ちょっとで行けるジェットフォイルだってありますが、離島たびはやっぱり「島んちゅと袖触れ合うような」庶民的な夜行フェリーがいいんですよね。
年末ということもあり、雑魚寝の2等船室は帰省客での混雑が予想されるので、高貴なる僕は1等船室に乗ってみることにしました。
袖触れ合わねーのかよっ!
指定された6人定員くらいの小部屋に入ってみると、特に布団やベッドがあるわけではなく、中は雑魚寝でしたが、定員以上に乗客が入ってくることがないので、全員それなりのスペースは確保できるようになっています。
僕が入った部屋には、中学生くらいの男の子と母親、島の老夫婦、そして20代後半くらいのわりと大柄なおねーさん。
博多出港は午前0時10分。
この日は波高3mくらいの予想でしたが、博多湾を出た頃から、右に左に、揺れ始めます。
おー、めちゃくちゃ揺れるぞ、フェリーちくし。
やっぱ冬の玄界灘はなめちゃいかんぞ。
これは早く寝ちゃった方がいいな、とすぐに船室に戻り、しばらくして眠りに落ちたようなのですが、ときどき波がぶつかってくるドーン、という音で目が覚めます。
酔い止めを飲んでいたので気分が悪くなることはないのですが、揺れと波の衝撃で夜中に何度か目を覚まし、ふと目を開けると大柄なおねーさんの顔が僕の目の前にあって、これはそのうち期せずして袖触れ合ちゃうんじゃないか?
深夜2時すぎに壱岐に寄港したあと、フェリーちくしは早朝4時45分に厳原港に到着します。
朝の4時45分になんか着いちゃって、町はまだ静まり返ってるし、どうすんだよ!
という観光客のために、フェリーちくしには朝の7時までそのまま船室で寝ていられるサービスがあります。
島内のバスが動き出すのも7時すぎなので、僕も下船せずにそのまましばらく船内で休みます。
中学生と母親、老夫婦は島の人々なので、誰かが迎えに来ているのでしょう、厳原到着と同時に下船してしまいましたが、大柄なおねーさんは相変わらず僕の目の前で静かに寝息を立てています。
もう船が揺れることはないので、期せずして二人のおでことおでこ、あるいは鼻と鼻、最悪の場合はもっとすごいところがぶつかってしまうなんていうリスクはなくなったのですが、まあこんなにがらんとした船室で、二人きりで寝ているのも気まずいので、僕は船室を移ることにしました。
なんて爽やかで、品行方正草食系なんだ、俺!!!
対馬の中心、厳原(いずはら)
対馬の中心はこの海の表玄関「厳原」。
険しい山々に囲まれたわずかな細長い平地に市街地が広がっています。
対馬の人口は約3万3000人(2014年)ですが、厳原は離島にしては大きな町です。
対馬の観光は島の中央部や北部の自然景観が中心で、厳原周辺にはあまり見どころはありませんが、対馬藩主であった宗家の菩提寺「万松院」が有名です。
ここは対馬藩の2代藩主・宗 義成(よしなり)が、父・義智の冥福を祈って1615年建立し、代々宗家の菩提寺となっていた由緒ある場所です。
対馬島主であった宗義智は、秀吉から朝鮮出兵での先陣を命ぜられ、今まで友好を保っていた朝鮮に心ならずも攻め込んだのみならず、天下が変わった徳川の時代には、家康の命を受け今後は逆に朝鮮との和平交渉を任されるなど、苦悩に満ちた生涯を送った大名だったそうです。
宗義智って「信長の野望」でなかなか能力の高い武将だったと思うのですが、そんな運命だったとは。初めて知りました。
この階段は百雁木(ひゃくがんぎ)といいます。雁木とは石段のことで、御霊屋へ続く石段の数が132段あることから、こう呼ばれているようです。
そして対馬のせつない夜
対馬の中心商店街。
この日は「ホテル対馬」という、名前だけ見ると対馬を代表するかのようなホテルに宿泊することになっていました。
チェックインすると、シングルを予約したはずなのに、シングルに空室がないのでスイートに案内します、とのこと。
おー、対馬を代表するホテルのスイートとはラッキー!
と思ったら、なんかめっちゃ昭和レトロ感あふれるラブホっぽいぞ!
この、ベッドが一段高くなっているひな壇の上にある、ってのがなんだかそんな感じがしませんか?知らんけど。
今日はたくさん歩いて足も疲れたので、就寝前にマッサージを呼ぶことにしました。
やって来たのは50代も半ばと思われる細身のおばちゃんです。
僕が部屋の中でノートPCを使っているのを見ると、僕の腰や背中を揉みながら少しずつ話がはじまりました。
Facebookやってますか?
やってますよ
じゃあ友達登録しませんか?
いきなりそんな誘いを受けちゃったけど、このままこの昭和レトロラブホ風スイートルームで襲われるのか、対馬の夜!
それはそれでめったに体験できないことだが、ホントにそれでいいのか、俺?
と勝手に妄想し葛藤していたところ、実はおばちゃんにはFacebookにまつわる物語があったのでした。
おばちゃんは弱視でいずれ全盲になるのがわかっているのだそうです。
でも目が見えなくなる前に、中学時代、好きだと言い出せなかった初恋の相手にもう一度会いたいと思ってFacebookを始め、友達たちも誰も行方が分からなかったその人を奇跡的に見つけ出し(四国に住んでいたそうです)、メッセージを送って、41年ぶりに再会したのだそうです。
遅すぎたけどちゃんと告白もできたんですよ♥
いずれ何も見えなくなっちゃうんだったら、それまでに、後悔しないようにいろいろなことにチャレンジしているんだそうです。
だからこんな年だけどFacebookもはじめたし、出会ったいろんな人と友達になってもらってるんです。
昼間の疲れと心地よいマッサージでうとうとしながらも、おばちゃんがそんなことを言っていたような気がして、今でもその言葉が妙に耳に残っています。
対馬の夜は、ちょっと切ない夜でした。
<2013年12月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
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