京都の嵐山・法輪寺で十三詣りを終えた子供たちは、渡月橋を一度も振り返ることなく渡り終えると、一様に緊張から解き放たれたような笑顔を見せるといいます。
そう、この十三詣りには、お詣りのあと、渡月橋を渡り終えるまで絶対にうしろを振り返ってはいけない、という言い伝えがあるからなのです。
ずっとずっと昔、そう、それは僕が新入社員研修を受けていた頃の話です。
僕たちの世代はバブル入社組と呼ばれ1000人を越える新入社員がいたため、会社の研修所には1回で収まり切らずに、その年の新入社員研修は2回に分けて行われていました。
前半が首都圏の大学出身組、後半が首都圏以外の大学出身組にというふうに振り分けられていて、僕は2回目の地方大学組の方でした。
首都圏以外の大学というと、必然的に関西の大学出身者が半数以上を占めていて、クラスはさながらミニ関西コミュニティーという様相でしたが、慣れてしまえばそれは非常にフランクで楽しい空間でした。
そんな中、僕はある一人の女の子とよく話すようになりました。最初のきっかけは席が隣り合わせだったからだと思います。彼女は京都の出身で、京都の大学を卒業して京都の支店に配属が決まっていました。
「安心といえばこれ以上ないくらい安心だけど、つまらないといえばこれ以上ないくらいつまらない進路よね」
彼女はよくそう言ってちょっと困ったような笑顔を作っていました。
4月第一週、研修所生活の最初の週末、僕は彼女から東京を案内してほしいと言われました。
僕も北海道から出てきたばかりなので東京のことはよくわからない、と言うと、なに言ってるの、と彼女は笑いました。
「あなたはこの首都圏大学以外のメンバーの中で数少ない花の東京配属組なのよ、私を案内できないくらいじゃこの先この中で生きていけないわよ」
とはいえ、やっぱり当時の僕には大した東京案内なんてできるはずもなく、最後は結局行くところもなくなり、研修終了後に僕が新しく住むことになる埼玉のマンションに行って、彼女に水回りの小物を揃えてもらったりして一日が終わってしまったような気がします。
当時は約2週間の研修を終えると、その週末を挟んでそれぞれが北海道から四国まで(僕のクラスには九州への配属者はいませんでした)全国の配属地に散って行くことになっていました。
研修の全日程が終了したのが4月12日の金曜日でした。同期との別れを惜しみつつ、明日からみんな新たな配属地に向かうというとき、彼女が突然こんなことを言いだしました。
「この間のお礼に明日、京都を案内するわよ」
京都?
僕は月曜から東京で仕事なんだけど。
そんなのもちろん知ってるわよ、と彼女は言いました。
でも明日は私の23歳の誕生日なのよ。
どうして京都に行こうと思ったのか、今でもその理由はうまく説明できないのですが、結局、僕は翌日、彼女と一緒に新幹線に乗っていました。
彼女は京都の西のはずれにある桂というところに住んでいました。
そう、あの桂離宮のすぐそばです。
彼女の大きな家には誰もいませんでした。理由は聞くのはなんとなくはばかられたので、今でもなぜかはわかりません。でもとにかくその広い庭園付きの立派な家には、彼女がひとりで暮らしている気配しか感じられなかったのでした。
リビングで彼女の入れてくれたコーヒーを飲んでしまうと、なんだか急に静寂が気になりはじめました。彼女の誕生日に、僕はここに来るべきだったんだ、ということはなんとなく理解し始めていましたが、それでも二人っきりで黙っているにはこの空間は必要以上に広すぎました。
散歩しましょう、と彼女が言いました。
ここから嵐山まで30分もあればいけるのよ。
渡月橋の手前、法輪寺への長い石段を左手に見るあたりでしょうか、彼女が突然「十三詣り」の話をはじめました。
十三詣りは旧暦の3月13日(新暦の4月13日)前後に、数え年13歳の子供たちが行う祝いごとで、関西では七五三と同じくらい大事な行事とされているのだそうです。特にこの嵐山の法輪寺への十三詣りはとても有名で、ここにある虚空蔵菩薩が智恵と福徳を司る菩薩なので、京都の子は13歳になるとみんな晴れ着を着てここに知恵を授かりに来るのだといいます。
彼女の誕生日であった4月13日は、十三詣りの日でもあったのす。その日は土曜日ということもあって、確かに法輪寺から渡月橋のあたりにかけて、着物姿やまだ着慣れていなそうな中学校の制服姿の子供たちがたくさん目につきました。
「ただ十三詣りにはひとつだけ決まりごとがあるのよ」
そう言うと彼女は渡月橋の前で立ち止まって、僕のほうを振り向きました。
「お詣りが終わってから、お寺の参道を下って、この渡月橋を渡り終わるまで、決して振り返ってはいけないの。途中で振り返ると、授かった知恵が全部戻ってしまうの」
言われてみると、渡月橋を一心不乱に渡る子供たちの背中は、どことなく緊張に張りつめているように見えました。
「でも私ね、十三詣りの帰り道、渡月橋の上で振り返っちゃったのよ。
両親や友達からはそんなの迷信だから気にしなくていい、って言われたんだけど、私それがずっと気になってたの。
だから23歳の誕生日の4月13日に、私だけ二十三詣りをしようって、ずっと思ってたの」
法輪寺のある小高い丘の上から見渡すと、嵐山は桜色から萌えるような緑に変わりつつある時期でした。
彼女は虚空蔵菩薩のある本堂の前で、しばらくの間、何事かを祈った後、大きく息をつくと、長い階段を降り始めました。
山門をくぐると渡月橋へと向かう道路に出て、渡月亭の前をゆっくりと歩いていきます。
「何か話してよ」
渡月橋に差し掛かると、彼女は前を向いたまま、後ろを歩く僕にそう言いました。
「私が振り返りたくなっちゃうような、何か刺激的な話」
「すぐうしろにめちゃめちゃいい男がいるけど」
「・・・そんなの全然ダメ」
「うーん、じゃあ・・・別れるのは寂しいので、一緒に東京に帰ろうか」
その刹那、彼女の歩みが一瞬乱れたような気がしました。
それでも彼女はすぐに元のペースを取り戻してこう言いました。
「ねえ、それ、本気なの?」
「・・・ゴメン、冗談」
渡月橋を渡り終えた場所では、ようやく後ろを振り返ることを許された子供たちのほっとしたような笑顔がそこここに広がっていましたが、振り返った彼女の顔に笑顔はありませんでした。
「あなたのおかげで振り返らずにすんだわ」
しばらくして彼女はそう言うと、ようやくあの、ちょっと困ったような笑顔を見せました。
そのあと彼女と僕は再会する機会のないまま、彼女の名前はいつの間にか社員名簿から消えて去っていました。
もしあの時、僕が冗談だと言わなかったら、彼女は再び振り返ってしまったのか、今でもそれはわかりません。
ただ、なんだか彼女は本当に僕と一緒に東京に戻ってしまうような気がして、その時は怖くてホントだなんて言えなかったのです。
早いものであれからもう四半世紀。
僕は13歳になった娘と、京都の嵐山・法輪寺へと十三詣りに行きました。
絶対に大丈夫だよ、と言いながらも、緊張でややぎこちなく歩いてようやく渡月橋を渡り終えると、彼女の表情には何かをやり遂げたような、あるいは新しい一歩を踏み出し始めたような笑顔が広がっていました。
13歳といえば、昔は元服といって成人とみなされる年齢でした。子供たちはこの行事を経て、またひとつ大人への階段を上るのでしょう。
10年越しの十三詣りを経て、23歳の彼女はあのあと、どんな階段をのぼって行ったのでしょうか。
十三詣り。
それは京都らしくとても風雅で、少し寂しい通過儀礼です。
<了>
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