かつて西武新宿線の西武柳沢駅から青梅車庫まで、都営バスの最長距離を走る、知る人ぞ知る路線がありました(現在も距離を短縮して存在はしています)。
その距離31.8キロ、定時走行時間は約1時間45分。運賃580円。
わざわざ2時間もかかるバスに乗るために、特に用事もない青梅に行くのもいいじゃないか!
そんな気軽な気持ちで出かけた、とある年の5月半ばの休日。
そのとき起こった夢幻のような出来事は、そのバスで不思議な女と出会ったことから始まったのでした。
(これは全3編中の第一章です)
都営バス最長距離路線「梅70」
そんなわけでとある年の5月の日曜日の午前、西武新宿線の柳沢駅。
駅前のバス乗り場にあった車両は、普通のよくある都バスのものと変わりません。
この路線は約1時間に一本の便が運行されていて、僕が乗ったのは西武柳沢駅発10時半くらいのバスでした。
今は少し区間が短くなり、西武新宿線の花小金井駅が始発となったため、この時より3キロほど運行距離が短くなりましたが、現在も都バスの最長距離路線であることはかわりません。
このバスは西東京市の西武柳沢駅を出発すると青梅街道に入り、そのまま西へ進みます。
そして小平駅、東大和駅といった地域のターミナルに立ち寄って八高線の箱根ヶ崎駅を通り、青梅の市内へと入っていきます。
このバスの経路を地図上で見るとこんな感じです。
1枚の画像に収めてしまうと小さくてあまりよくわかりませんが、停留所の数が多すぎて、若干気持ち悪い感じです。
たぶん100個くらいあったと思います。。。
これだけ長いと、3つないしは4つくらいの生活圏を通り抜けるので、始発から終点まで通しで乗るのは
①バスオタクもしくはちょっと変わったB級旅オタク
②あまりお金をかけずに休日を楽しみたいつつましいシニアのハイカー
③稀に僕のような侘び寂びとか、もののあはれとか、いとをかしとか、伊藤菓子とかを極めた、風雅な吟遊詩人
という感じでしょうか。
事実、小平や東大和といったターミナルに着くたびに、中の乗客はごそっと入れ替わります。
そんな中、日曜日だったこともあるのでしょうが、①らしい人物がかぶりつき席に約1名、②に違いないと思われる夫婦が僕の少し前の座席にいました。
そして僕は一番うしろのロングシートの左端に座って、時とともに移り変わる車内の栄枯盛衰を、祇園精舎の鐘の声を聞きながら諸行無常の思いで眺めていたのでした。
そして昼顔妻?登場
バスに乗車して1時間くらい経った頃でしょうか、僕は車内のちょっとした異変に気付いたのでした。
僕と同じロングシートの右端に座る女性が、始発からここまでずっと乗り続けているのです。
小平や東大和といったターミナルで、①②③のいずれか以外はすべて新しい血に入れ替わったと思っていたのですが、彼女だけは西武柳沢駅からずっと窓の外をぼんやりと眺めながら乗り続けています。
きっとこれは新種の④だな。
④夫は海外単身赴任、子供は部活。こんなよく晴れた5月の日曜日に家にいるのももてあまして、どこかにちょっとだけ逃避行したい、アンニュイな人妻。
いまふうに言うと、(平日じゃないけど)昼顔妻?
おー、それだ、それ。いい得て妙だ!
バス完乗族の新種の生態を発見したので、今度の「月刊バスマニア」で論文として発表しようと思っていると、突然彼女がするするとロングシートの席を伝って僕の横にやってきました。
それはバスが箱根ヶ崎駅を過ぎ、片側2車線と広くなった道路を快走しはじめ、青梅に向かっていよいよ最終第4コーナーに入った頃でした。彼女も僕がこの先、もう青梅以外で降りることはない、思ったからでしょう。
青梅まで行かれますか?
彼女は、やや鼻にかかった厚みのある声でした。
そっとささやかれたら、かなり効んだろうなあ、という感じの声質です。
「はい」と答えて様子を伺います。
急にささやかれても、ノックアウトされないように、心を確かに持たねばなりません。
では、もしお時間があったら、ここにお越しください
そう言って彼女はざらりとした手触りの名刺大のカードを僕に手渡しました。
Kinema club dunes
そしてとても簡単な地図と所在地を示す★印。
住所も、電話番号も書いてありません。
キネマクラブ?
Dunesは意味も読み方も僕にはちょっと自信がなかったので、わかるところだけ呟いてみました。
そう、そこで私はお待ちしていますから
彼女は、やや首をかしげるようにして、僕の目をまっすぐに見上げながらそう言いました。
ささやきだけでなく、これもかなり効きそうだ、ということがわかりました。
彼女はそれだけを残して、青梅駅より手前の、市街のバス停で降りて行きました。
ささやかれそうになったら、耳をふさげばいいんだし、見つめられそうになったら目をつぶればいいだけだ。
もう一回彼女にあったとしても、そんなに危険はないはず。
そんなことを考えていると、バスはいつの間にか終点の青梅車庫へと到着していたのでした。
Kinema club dunes
終点の青梅車庫は東西に細長い市街地の西端、新緑の奥多摩の山々が迫りつつある場所にありました。
付近の青梅街道沿いには、古い建物も残っていて、同じ東京とはいえ、2時間前とはまったく別の世界のようです。
JR青梅線の青梅駅方面へ歩いてもどります。
青梅は昭和レトロの街として売出中で、特に当時は昔の映画看板を町じゅうに飾って、昭和っぽさを演出しているのが特徴でした。
これは最後の映画看板師といわれる久保板観さんが青梅出身のため、彼が泥絵の具一本で描きあげた昭和30年代の邦画・洋画の映画看板が町の至る所に掲示されていました。
(現在は久保さんが亡くなったため、徐々に撤去されているようです)
バス停。
電話ボックス
で、赤塚不二夫。
赤塚さんの方は青梅とは直接のかかわりはないようですが、昭和を代表する漫画家であり、青年時代に映画看板の仕事に従事した事があるというつながりから、青梅は赤塚不二夫ワールドの街でもありました。
ぶらぶらと銀幕看板街を歩いていると、さっきの昼顔妻が残していった名刺の場所は、もうそれほど遠くないようです。
「Kinema club dunes」の場所を示す★印をたどると、どうやらそこはメインストリートから外れた路地の先のようです。
こんな奥まったところに観光客が来るような施設があるんだろうか、
そんなふうに思いながら歩いていると、突然こんなポスターが貼ってある古い建物が僕の目の前に現れたのでした。
第二章へつづく
<2014年5月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
都営バス最長路線の基本情報(2020年6月現在)
僕の関係する会社です。予約はぜひこちらで!
コメント