長野県の小布施町は、重厚な伝統的景観や歴史文化、地場産業をうまく活かした計画的なまちづくりの成功例として有名です。
CREAあたりはもちろんのこと、婦人画報レベルの雑誌にまで特集されるような信州のおしゃれなまち、というイメージがすっかり定着しています。
そしてなんといってもこの小布施の名産は栗。特にモンブラン朱雀という栗を使ったすごいスイーツが人気だ、ということでクリ好きの僕が行ってみましたよ!
文人墨客に愛された小布施
小布施は長野駅から長野電鉄で約30分の場所にある小さな町。長野県内で最も面積の小さい自治体だそうです。
千曲川の舟運が発達した江戸時代に、交通と経済の要所として人が行き交い集まることで独特の文化が花開き、多くの文人墨客が訪れました。
葛飾北斎や小林一茶も小布施の魅力に引き付けられた客人の一人で、彼らが残した多くの作品が、今の小布施の人気の源流となっています。
その町の中心部にある小布施堂。
小布施堂は、代々小布施の名士であった市村家が経営する和菓子店ですが、系列に江戸時代から続く造り酒屋「桝一市村酒造」、スモールラグジュアリーのホテル「枡一客殿」、蔵を改造して作ったレストラン「蔵部」などを持つ、小布施観光の中心となる一大コンツェルンなのです。
そして小布施と言えば、栗。
栗と言えば、僕が大好きな食べ物。
この小布施堂は、高級栗菓子で有名なのです。
とはいえ、いきなり栗菓子というわけにもいかないので、まずは栗おこわ。
町の和食レストランには、ほぼ例外なく栗おこわがあるんじゃないか、というくらい栗なんですよ、小布施は。
シンプルなんですが、クリ好きの僕は大満足です。
昼食後は小布施堂の目の前にある北斎館へ。
葛飾北斎が晩年の4年間、この小布施に逗留し、町に残されていた作品も多かったことから昭和51年に開館した美術館です。
この時の企画展では北斎の「富嶽三十六景」と安藤広重の「富士三十六景」の比較をやっていて、なかなか面白かったです。
この北斎館のすぐ横から通じる小路が「栗の小径(くりのこみち)」。
小布施のイメージ写真として一番よくつかわれているのがこのあたりのカットじゃないでしょうか?
これは小布施の町並み修景事業の一環としてつくられた遊歩道で、栗の間伐材を敷きつめられたことからそう名づけられたのですが、道端に栗の木を植えたり、壁を栗色にしたりして、今は名実ともに栗の道になっているのだそうです。
この栗の小径の突き当りあたりにあるのが、高井鴻山記念館。
高井鴻山は小布施堂や桝一市村酒造場を経営する市村家の祖先だったそうで、江戸時代に文人墨客のパトロンとして、この小布施に文化サロンを開いていて、北斎もその中のひとりとしてここに滞在していたのだそうです。
現在の小布施町長も市村家の一族から出ていますので、市村家は本当に昔からの名士なんですね。
桝一市村酒造場と枡一客殿
さて、その市村家が経営する施設もこの周辺に固まっています。
まずは江戸時代から続く酒蔵、桝一市村酒造場本店。
ここは桝一市村酒造場の直売店ですが、店内には“手盃台”(てっぱだい)と呼ばれる和風なカウンターがあり、そこでは、量り売りでその場でお酒が飲め、おちょこ一杯から全銘柄を味わうことができるのだそうです。
お酒が好きな人にはいいですよね。
僕は・・・まだまだ修行が足りないので今回はチャレンジを見送ります。
枡一酒造場の中庭は通り抜けられるようになっていて、ちょっとした散歩道のようになっています。
さすが市村コンツェルン、って感じですね。
そしてこの酒造場の蔵を活かした和風のレストランが「蔵部(クラブ)」。
この伝統的なお屋敷ふうの建物がそれです。
この蔵に、この、枡一のロゴ、絵になりますねぇ。
そして僕が今、一番気になってるのが、この、枡一客殿というスモールラグジュアリーなホテル。
部屋は全12室、江戸時代の土蔵や昭和初期の土蔵倉庫などの建物が中心で、内部は和モダンな洋式スタイルなんだそうです。
いつかしっぽりと泊まってみたいもんですね。
しかし残念ながら家族と来るところではないな(今回は家族旅行です…)
この小布施堂グループに、というより、この小布施町にかつて存在していた一人の女性がいました。
彼女の名前は「セーラ・マリカミングス」。
関西の大学に一年間の交換留学生として来ていたアメリカ人の彼女が、オリンピックをきっかけに卒業後、長野にやってきて、ひょんなことからこの小布施堂を紹介されてここで働くことになったのだそうです。
一時期、テレビで紹介されたり、新聞や雑誌でもたくさん記事が出たりしたのでご存知の方も多いかもしれませんが、彼女は「小布施の台風娘」という異名をとるくらい突拍子もなく果敢な行動で、日本人にはない視点から、小布施に数々のイノベーションを起こした、と言われています。
ところが数年前に、そのセーラが突然小布施堂をやめて、小布施の町から消えてしまったのです。
僕のチームで、セーラにちょっとした仕事をお願いしていたので、最初にその話を聞いた時はびっくりしたのですが、契約していた仕事は滞りなく行われ、今は長野の別の集落で農業を核に新しい事業をやっているみたいです。
小布施が年間120万人もの観光客を呼ぶようになったのも、セーラの功績、という話もある一方、地元では彼女のやり方に対していろいろな意見もあったようなので、詳細はわかりませんが、僕個人としては残念です。
江戸時代の小布施の文化サロンを現代によみがえらせた「小布施ッション」とか「国際北斎会議」とか「小布施見にマラソン」とか、それまでの小布施の人たちができるわけない、と思ったことをどんどん実現させていった功績は大きいと思うのです。
まちづくりに成功したところには必ず「よそもの」「わかもの」「ばかもの」がその中心にいる、と言われていますが、セーラはたった一人でその3役をやっていたのでしょう。
いけないいけない。
つい本性が出て真面目な話をしてしまった・・・・・
いざ、「モンブラン朱雀」をば。
さて、僕は小布施は2回目ですが、ここでやってみたかったこと、それは栗菓子を死ぬほど食べること。
クリ好きですから、はい。
そんなわけで、栗のソフトクリームを食べ、そのあとどこかで栗の甘味でも、と思っていたら、やはりここは小布施堂、登場です。
小布施堂のイタリアンレストラン「傘風楼(さんぷうろう)」の「モンブラン朱雀」(※2020年現在はモンブラン朱雀の専門店「えんとつ」にて提供)
14:15~15:00までのカフェタイムでしか提供しないため、1日20組くらいしか食べられないのだそうです。(※当時)
たまたま受付開始の14:00ちょっと前に通りがかったので運よく入ることができました。
ドリンク付きで1250円。値段もさすが、小布施堂。(2020年現在は1,600円)
上から撮っちゃうとかわいく見えますが、結構どーん!とかなりのボリュームがあるのです。
このお皿、デザートプレートじゃなくって30㎝くらいある大きなお皿ですからね。
このモンブラン、ソフトボールくらいある感じです。
食べ終わると、さすがの僕も、もうしばらくはクリなんか見たくない、という感じで小布施をあとにしたのでしたのですが、モンブラン朱雀以外に毎年、新栗が届く1ヶ月間しか提供しない「栗の点心 朱雀」という商品もあるようです。
今度はそれを食べてみたいな。
<2016年1月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
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