♪あなたを追って出雲崎 悲しみの日本海~♪ (「海雪」唄:ジェロ、作詞:秋元康)
という歌で知られる新潟の出雲崎は大国主命によって開拓されたと伝えられており、江戸時代は天領、そして北前船の寄港地として栄え、人口密度は越後一と云われたところ。
北国街道に沿って続く長屋建築の街並が今も面影を残しているため、その妻入りの街並みを見たくて、足を運んでみました。
けしてジェロがその寂寥を歌い上げたからではありません。
長岡から路線バスで出雲崎へ
JR出雲崎駅は新潟と柏崎を結ぶ越後線にあるのですが、ここから妻入りの町並みがある日本海沿いまでは、ひと山越えて4、5キロを歩かなければなりません(ということを行こうと思ってから知りました)。
出雲崎の駅から海岸沿いの集落までのバスもあるのですが、長岡駅からのバスもあることを知って、今回はそれでアプローチしてみました。
長岡花火は今や全国的に有名、ということもあって、駅前にはこんなモニュメントがあります。
長岡から出雲崎へは、路線バスで約1時間。
東京方面からであれば、この行き方が一番近いかもしれません。
バスはしばらくの間、長岡の郊外を走り、旧三島町の中心地を過ぎ、最初の低い峠を越えると出雲崎の内陸部に入ります。
JRの駅や町役場、中学・高校などはこの周辺に集まっていますが、いったんはバスに乗ったまま通過します。
バスを降りたのは良寛記念館前。
閉館時間も近かったこともあって、あまりゆっくりも見られなかったのですが、記念館自体は本人直筆の句だの書だのが飾ってある、極めてシンプルな施設でした。
ただ記念館の敷地から小高い丘を登ったところの展望台が素晴らしかったのです。
「にいがた景勝100選」第1位の眺望
これが展望台から見た、妻入りの町並み。
そしてでーん、と日本海。遠くに弥彦山。
ここは「にいがた景勝100選」の第1位なんだそうです!
ここから見る夕日は得も言われぬ美しさなんだとか。
夕日の時間にはまだちょっと早かったのですが、こんな感じ。
んで、ここにも良寛じいさん。
出雲崎に来てみると、町にとっては
1に良寛、2に夕日、3が妻入り町並みで、4がジェロ・・・?
という序列なんだろうなーという気がしました。
ここで生まれた江戸時代の俳人良寛は、それほどまでに町の大スター的な扱いです。
妻入りの町並みへ
展望台から町の方へ下りながら、妻入りの家々を眺めます。
江戸時代の出雲崎町は、越後で一番人口密度が高く、多くの人が居住できるように間口が狭く、奥行きの長い作りになっていたためこうした形式の建物になったようです。
また、当時は間口によって税金が掛けられていたとのことで、小さい間口で広い建物にするためにこんなふうになった、とも言われています。
妻入りの建物があったかどうかは定かではありませんが、似たような雰囲気の町は北海道の日本海側に多い気がします。増毛とか小樽~積丹半島のあたりでしょうか。
確かに長いですね。昔の小学校の校舎かと思っちゃうくらいです。
江戸時代、幕府の天領であった出雲崎は佐渡金銀の荷揚げや北前船の寄港地として栄えました。当時の人口2万人、廻船問屋街、旅館街が立ち並び、それに伴い遊廓街も発展していたそうです。
そして町の中心には、良寛さんの生誕地(良寛堂)。
良寛はこの出雲崎に生まれ、詩人・歌人・書家としても知られる江戸時代後期の禅僧。
生涯無欲な性格で、諸民に信頼され、特に子供達を愛し積極的に遊んだといわれています。
それゆえ良寛が托鉢に回ると、人々は喜んで鉢の子の中に米や金をいれたそうです。
そんな良寛さんの人柄をあらわすエピソードはいくつもありますが、谷川敏朗著「良寛の逸話」よりひとつ紹介します。
■五合庵でのできごと
良寛の住んでいた五合庵は粗末なもので、広さは六畳、入口はこもが下げられていただけ、床は土間にむしろを敷いたありさまであった。
このようなところにさえ、盗人が入った。しかし、盗むものが一つもないので、しかたなしに良寛の寝ている布団をとろうとした。
良寛は知らないふりをして寝返りをうち、盗人のとりやすいようにしてやったという。その時につくったのが次の俳句である。
「盗人に とり残されし 窓の月」
どんだけいいやつなんだ、良寛!
にいがた景勝100選第1位の夕日
海側から見た町並み。
海のすぐ近くまで山が迫っていて、わずかな海岸沿いの敷地に細長く町並みが続いています。
空には雲一つなく、いい感じで日も暮れはじめ、今日はにいがた景勝100選第1位の最高の夕日が見られそうだなーと思っていたのですが・・・
なんとスマホの電源が突然OUT!になってしまったのです。
もう1台の仕事用のケータイも、予備のバッテリーもほんのわずかしか残っていない状態だったのですが、このあとスマホを使わなければならない用件もあったので、もうこれ以上消耗させるわけにはいかず、夕日の時間まで待てない状況になりました。
そんなわけで予定を繰り上げ、バスで出雲崎駅へ。
新潟行きの列車に乗って、西の丘陵の向こうにあるはずの日本海側を眺めると、空は橙のようなピンクのような、得も言われぬほど美しい色に染まっていましたが、そのシーンを間近に見ることは叶いませんでした。
ただ東の空からはちょうど中秋の月が上り、黄金色がだんだんと蒼くなってゆく時間帯の、越後平野の美しい稲穂を、得も言われぬほど美しく照らしてくれたので、今日のところはよしとしておきました。
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