ユースホステルといえば、かつて昭和時代の若人が、バックパックを背負って放浪する旅での定宿でした。
僕もよく似たような旅はしていたのですが、なぜかユースホステルには泊まったことがなかったのです。たぶんシャイな僕はホステラーたちと夜、みんなで歌を唄ったり、人生語ったりするのを敬遠してたんだと思います。
ところが、とあるきっかけで、人生の酸いも甘いも知るナイスミドルとなって初めてユースホステル宿泊体験をすることになったのです。
ユースホステル宿泊のきっかけ
ユースホステルは、ドイツ発祥で、青少年少女の旅に安全かつ安価な宿泊場所を提供しようという主旨で生まれた宿泊施設。1970年代には日本にも587の施設があり、63万人もの会員がいたようです。
現在は最盛期に比べると施設も会員も大きく減少し、将来的な存続が危ぶまれているといわれているのですが、ひょんなことから、僕がとあるユースホステル関連団体の役員をすることになったのです。
さすがにユースに一度も泊まったことがないのに役員はマズかろう、と思っていたところ、たまたま行く予定だった北海道の天売島、焼尻島への航路が発着する北海道の羽幌町にユースホステルがあることを発見したのです。
しかしその日は7月の海の日の3連休の真っただ中。さすがに厳しいかな、と思いながら電話してみると
空いてますよ、何人かな?
すみません、自分では永遠のユースのつもりでいるんですけど、実年齢は50代の既婚男ひとりです
わかりました、じゃあ当日羽幌のバスターミナルに迎えでいいですね
わりとあっさり予約できた!(しかも50代既婚男ひとりでも受け入れてくれた)
と、晴れて予約はできたものの、一方でかすかな不安も生まれてきます。
夜「ミーティング」と呼ばれる宿泊者たちの交流イベントがあったりしたらどうしよう。
人が生きることの価値ってなんですか?
「翼をください」一緒に唄ってもらえませんか?
そんなことより私は風祭さんの恋の遍歴が聞きたいわ
ヤバいな、ナイスミドルなのにユースの主役になっちまう。
いざ、羽幌遊歩へ
羽幌までは札幌から高速バス特急「はぼろ号」で3時間ちょっと。
羽幌は天売や焼尻といった離島への基点となっている交通の要所で、バスターミナルも予想以上に立派でした。
はぼろ号を運行する沿岸バスは、北海道の厳しい環境の中、萌えキャラを通じて頑張っていて、ターミナルの車庫にあるバスにも萌えっ子ラッピングがされています。
バスの時間を伝えてあったので、ターミナルの待合室に入ると、ユースのオーナー(ペアレントとも言われています)が待っていて、そのまま車でホテルまで送迎してくれました。
「羽幌遊歩」は羽幌の市街から少し離れたスポーツ公園内にありますが、ターミナルからは車で5分ほど。
鮮やかな黄色の看板の目立つ2階建てのこじんまりしたユースホステルでした。
フロントもシンプルですね。ほとんどのユースホステルはペアレントと呼ばれるオーナー夫婦が家族経営でやっているケースが多いようです。
客室数は全部で6~7室くらいでしょうか。僕の部屋は2階の「日だまり」でした。
ユースホステルというと男女別2段ベッドのドミトリーというイメージがありますが、家族用の2名部屋もあって、追加料金を払えば、ここを1人利用で使うこともできます。
部屋はとてもシンプルで、ベッドと簡易なデスクがあるくらい。テレビも冷蔵庫もありません。
ユ-スホステルではテレビも冷蔵庫も共同利用。みんなで談話しつつ使うものなのです。
その代わりにおいてあったのが、旅の思い出ノート。
かつてこの部屋に泊まった人たちの思い出がびっしりと書き記されていましたが、読んでみるとほどんどがユースではなく、むしろシニアの方々が多い感じです。
もちろんこの部屋がドミトリーではなく、カップル向けのタイプだということもあるかと思いますが、もしかすると今もユースホステルを支えているのは、かつてユースホステルを渡り歩いていたパイセンがたなのかもしれませんね。
ここが羽幌遊歩の談話室。せっかく若人と交流しようと思っていたのに誰もいません。
そんなわけで、まだ夕食まで時間もあるので羽幌の町まで散歩に行くことにしました。
意外とディープな羽幌の町
羽幌は北海道北部の日本海側にある町で、このあたりの半径50キロ内では最も大きな町ですが、人口はわずか6000人。
それでもかつては北海道でも屈指の規模を誇った羽幌炭鉱があり、最盛期の人口は3万人以上あったため、町の中心市街地は比較的広く、そのころの名残を感じることができます。
北の酒場通りもありますね。
やはり人口6000人規模の町にしては壮大な夜の繁華街ですね。
近隣の市町村からここまで飲みに来るのでしょうか?代行タクシー代、大変なことになりそうですが。
むむっ。
むむっ?
羽幌にしては刺激的すぎるお店!と思いましたが、ここもスナックでした!
それにしても異世界にでも通じていそうなこのトンネルをくぐるのは勇気が必要ですね。
今はすでに営業していないお店も多くありましたが、羽幌の町はなかなかディープでした。
夕食、そしてミーティング?
羽幌遊歩の夕食は18時半から。宿泊者全員一緒の時間にスタートします。
かつては宿泊者も一緒に食事の準備やあとかたづけを行うユースもあったようですが、今はそうしたところも少なくなっているようです(ちなみにご飯やみそ汁はセルフサービスでした)
テーブルは3つに分かれていて、向こう側に謎の老若男女のグループが、(写真には写ってませんが)隣のテーブルにはシニアの女性がひとり、僕の目の前にはひとり旅っぽいお兄さんが座りました。
謎のグループだけは盛り上がっていましたが、それ以外会話があるわけではありません。
ペアレントさんに聞いたところ、このグループはアンモナイトの研究者つながりなんだとか。
羽幌周辺は良質なアンモナイト化石が出る場所らしく、いろいろな大学の先生や学生がここに泊まって化石掘りに行くらしいのです。
残念ながら今回は「偶然泊まり合わせた若い旅人たちが人生について語りあう」という感じではなさそうでした。そもそも最近は「ミーティング」と呼ばれる、宿泊者同士の交流イベントをやっているユースも少なくなっているようです。
そんなわけで人生初ユースホステルの旅は意外とあっさりと終わりました。せっかくユースホステルに来たのに交流イベントがないのはちょっと寂しい気もするし、ちょっとほっとした感もあります。
ちなみに同じ北海道で羽幌からも近い礼文島にある「桃岩荘」は日本三大バカユースホステルとも言われ、今でも歌って踊るミーティングが伝統行事のようですが、こうした昭和の伝統を残したホテルも絶滅危惧種のようです。
そんなわけで、古き良きユースホステルを体感したい方にはこの「桃岩荘」を全力でお勧めします!(もちろん行ったことありません)
<2023年7月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
羽幌遊歩の基本情報/羽幌遊歩への旅
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