昔から路線バスに乗るのが好きでした。
古くさい田舎のオンボロバスの一番後ろの席に座って、ゆらゆらと左右に体を振り回されたり、ピョンピョンと上下に突き上げられたりしながらどこまでもどこまでも乗っていくのが好きだったのです。
そのバスは遅れていました。
3連休の初日だったせいか、長崎市内を抜けるまでに時刻表より15分か20分余分に時間がかかっていて、ドライバーはその遅れを取り戻すかのように東シナ海に面した坂道を猛スピードで上り、そして下り、左にハンドルを切って海へダイブするか、右にハンドルを切って山へ突っ込むか、あるいはその両方をやってのけるか、というような勢いでバスを走らせていました。
「ピンポーン」
僕がバスを降りるつもりだった停留所の2つか3つ前、海を見下ろす高台にある道の駅の手前で僕の前の席に座っていた女の子が降車のチャイムを鳴らしました。
と思ったら突然僕の方を振り向いてこう尋ねてきたのです。
「あの、出津教会はこのバス停でいいんでしたっけ?」
出津(しつ)教会堂は僕が行こうとしていた場所なので、まだこのバス停ではないはずでした。
バスが停まったあと、念のために僕がドライバーのところに行って確認すると、彼は無言で右手を違う、違う、というふうに強く振り、再び恐ろしい勢いでバスを急発進させたのでした。
出津教会の最寄りである「出津文化村」という停留所で僕と一緒にバスを降りた彼女は、ごめんなさい、と言ってこう続けました。
「道の駅のところに遠藤周作っていう名前が書いてある看板が出てたから、とっさに降車ボタンを押しちゃったのよ。出津教会の近くには遠藤周作の記念碑があるって聞いてたから」
長崎・外海の出津地区は、キリスト教禁教期にもひそかに信仰を継続していた潜伏キリシタン独特の文化資産が残っていて、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する資産のひとつとして世界遺産に登録されています。
キリスト教徒でもあった作家、遠藤周作の「沈黙」は、キリスト教弾圧下にこの地区にやってきたポルトガル人宣教師を描いた作品で、確かにこの出津の海を見下ろす高台にその記念碑がありました。
でも道の駅の近くにあるのは遠藤周作文学館で、記念碑とは別だよ、と僕が言うと、彼女はくすくすと笑いながら、私の代わりに怒られてくれてありがとう、と言いました。
とあるWebメディアで仕事をしている、という彼女は、この日から3日間で長崎・天草の教会を中心に世界遺産関連の特集記事のための取材をするということでした。僕もこの日から3日間で長崎の教会めぐりをするつもりだったのですが、偶然はそれだけではありませんでした。
ふたりとも北部九州の路線バスが3日間乗り放題の「SUNQパス」というチケットを、まったく同じ日付で持っていたのです。
潜伏キリシタンの里は、人目に付かぬような辺境の地でひっそりと生き延びてきた集落がほとんどで、現在でも鉄道など通じている場所は少なく、そこに行くためにはいくつもの路線バスに乗り継いでいく必要がありました。
そんなわけで突然、僕と彼女の「潜伏キリシタンをめぐる路線バスの旅」が始まったのです。
出津教会の次に大野教会へと向かうバスでは、降車ボタンを押すのが遅れてしまって、またもやドライバーに「え、降りるの?遅いよ」とどやされてしまいました。
今度は間違えたのは僕でした。「大野教会」というバス停があるものだと勘違いしていて、本来降りるべき「大野」バス停を通過したところでそれに気づいてあわててバスを停めたのです。
バスが止まると彼女は僕を制して先を歩き、ドライバーににこやかに謝ってバスを降りると、これでおあいこね、と言ってまたクスクスと笑いました。
そのあとも僕たちは古くさい田舎のオンボロ路線バスの一番後ろの席に座って、ゆらゆらと左右に体を振り回されたり、ピョンピョンと上下に突き上げられたりしながら教会をめぐりました。バスが海側へと大きく傾くと彼女の左肩が僕の右肩に触れ、下り坂で勢い余って不意に上下に飛び跳ねると彼女の左手が僕の右手をつかみました。
板の浦という小さなバスターミナルで乗り換えて西海橋へ。
1時間以上も乗り継ぎの時間があった西海橋では、伊ノ浦瀬戸を見下ろす新西海橋歩道橋の上を怖がって歩く僕の背中を、彼女がふざけて何度も押しました。
そして西海橋から早岐へ、早岐から佐世保へ。
そんなバス旅がいつまでも、どこまでも続くんじゃないか、と僕が思い始めた頃、終わりは突然やってきました。
このあと北の平戸に向かう僕と、南の長崎市内に戻る彼女は佐世保から別々のバスに乗らなくてはなりません。
先に出発するのは彼女が乗る長崎行きの高速バスでした。
「こんなきれいなバスに乗りたくないな。オンボロバスにいつまでも乗っていたかったな…」
そう言って出発時間が迫ってもなかなかその場を動かない彼女の背中をそっと押すと、彼女はバスに乗り込みながら一瞬右手を後ろに伸ばし、慌てて右手を差し出した僕の指と彼女の指が触れ合ったその刹那、僕たちを隔てるドアが閉まりました。
指先に奇妙な感覚が残っていました。
彼女の柔らかくてちょっと冷たかった指に導かれて、僕はあの新しくてきれいなバスに一緒に乗ればよかったのでしょうか、それとも彼女を引き戻して、また一緒にオンボロ路線バスに乗ればよかったのでしょうか。
きっとそのどちらもできたはずでした。なぜなら僕たちはそこからどこにでも行ける魔法のバスチケットを持っていたのですから。
翌日は曇天からときどき霧雨が舞うあいにくの天候でした。
彼女のいない路線バスの一番後ろの席は心なしか揺れも少なく、静かに走り続けていました。バスに乗るのが楽しくないなんて、初めてのことでした。
僕は予定していた平戸島のバス旅を早めに切り上げて、前日、彼女が乗った長崎行きの目新しい高速バスに乗ったのです。
彼女を追って天草まで行けば、またどこかで降車ベルを押し間違える女の子に逢えるかもしれない、と思いながら。
乗り放題チケットの最終日3日目、天草はよく晴れて穏やかな1日でした。
南島原の口之津から船で天草に渡った僕は、5本の路線バスに乗りながら天草キリシタン館やコレジオ館、崎津教会などを訪ねてみましたが、彼女の姿を見かけることはありませんでした。
大江教会に着いたのは午後4時半。11月下旬の太陽はすでに西に傾き、3日間の路線バスの旅の目的地も、ここが最後の場所になりそうでした。
西日に染まる天主堂へのゆるやかなスロープを登っていると、突然何かが僕の胸の中に飛び込んできました。
ずっとこの太陽の下で僕を待っていたのでしょうか、抱きしめると彼女からはほのかにひなたの匂いがしました。
こうして復活した僕と彼女の路線バスの旅ですが、最終バスが天草五橋を越えて九州本土に渡り、終点に着いてしまえば今度こそ本当に終わりとなります。
すっかり日が暮れて真っ暗になった海岸沿いを走るバスの一番後ろの席で、疲れてしまったのか、彼女は僕に体を預けたまま長い時間眠りこけていました。
彼女からまたひなたの匂いがしました。
それは僕が心の奥深くにしまい込んでしまった遠い昔の記憶を、少しずつ少しずつ呼び起こすような、優しくて儚くて甘い匂いでした。
日付が変われば、魔法のようなバスチケットは効力を失い、僕たちはそれぞれ別の切符を使って、それぞれの町へと戻っていくことでしょう。
でもまたいつの日か、まぶしいくらい太陽の光が降り注ぐオンボロバスの一番後ろの席で、彼女と一緒に右へ左へと揺られながらどこまでもどこまでも、小さな幸せを見つけに行く旅に出る日が来るような気がしました。
<了>
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