奈良県の大和郡山は郡山城の城下町として古くから繁栄し、奈良街道の宿場町としても賑わっていたところ。
人の賑わうところに遊里あり、という通り、この町にもかつて「東岡町」と「洞泉寺町」というふたつの遊郭があったのだそうです。
大和郡山の古い町並みを巡っていたら、偶然、その残り香を色濃く放つかつての妓楼跡「旧川本邸」を発見したお話です。
町家物語館(旧川本邸)との出会い
大和郡山の古い町並みが見たい、と市内をブラブラしていたところ、なかなかいい感じの古い建物を発見しました。
建物はカッコいいけど、「町屋物語館」というちょっとメルヘンチックな名前だったので、ま、入場無料だし、ちょっと中を覗こうか、くらいのつもりで入ってみることにしました。
するとここのボランティアガイドと思われる女性がすかさずが寄ってきました。
中、案内しましょか?
せっかくの提案はありがたかったのですが、このおかあさんにメルヘンな町屋の話を聞いても恋は生まれなそうだったので、丁重にお断りしたのでした。
ありがとうございます。でもふらふらと眺めたいので、お気遣いなく・・・
そんなわけで中に入って、この「旧川本邸」と呼ばれるらしい建物の説明を見ていると
ほんなら、ごゆっくり。ここは昔、遊郭だった建物をきれいにして・・・
え?ちょ、ちょちょ、やっぱり案内してください!!
実は僕は以前、新聞の記事か何かで、かつて大和郡山にあった遊郭跡が再生されたというニュースを見て、いつか行ってみたいと思っていたのでした(このときまで忘れてましたが…)
町屋物語館なんてメルヘンチックな名前にするなよ、旧川本邸!遊女物語館みたいな名前にしてくれ!
旧川本邸とは
かつてこの場所には「洞泉寺町遊郭」があり、ピーク時には貸座敷17軒があったそうです。
その中のひとつがこの「川本邸」で、大正13年に建てられ、昭和33年の売春防止法施行まで遊郭として使われていた木造三階建の建物は、現在登録有形文化財にも指定されています。
その後、下宿や住居として使っていた時代もあったようですが、老朽化に伴い空き家となっていたものを大和郡山市が購入し、耐震工事の後、歴史的な町屋の遺構として再生オープンしたのだそうです。
こうした川本邸の由来が記された展示スペースとなっている部屋が「娼妓溜」。遊女たちが顔見世をしていた場所ですね。
ガイドのあかあさんの説明を聞きながら、順路に沿って2階にあがります。
ちなみにこちらはお客さん用の階段で、遊女用の階段は裏の方にあります。
1階で相手を選んで、2階で晴れてご対面、ってやつですね。
2階に上がるとすぐに目に入ってくるのが、この💛マークの3連チャン!
これは猪目窓(いのめまど)といって、魔よけのために取り入れられた意匠ですが、こんなところにあると妙に妖艶な感じがしますね。お客と遊女が出会う場所の近くに置いたのは、演出だったのかな。
妓楼の小部屋へ
川本邸には2階、3階に合計16室の小部屋があります。
これが2階。
こっちが3階。
違いがわかりますか?
窓の格子が違うやろ?(このあたりから、遊女に案内してもらってる妄想に切り替えました)
おー、ホントだ!
階数が下だと格子の目が細く、上だと荒くなってるんやで!
上に行けば行くほど、そとから覗かれることが少なくなるためなのか、はたまた遊女が逃げ出しにくくなるからなのか。どちらが本当かはわかりませんが、妖艶さと哀愁とが混じり合ったような理由がそこにありました。
ガイドのお母さんによると、これらのかつての妓楼座敷は、その後しばらくの間、下宿として利用されていたようです。
「遊女とお客がつかの間の秘め事を楽しむには、妓楼のお部屋は3畳くらいが最も情緒がある」というのが風祭妓楼研究所の公式見解ですが、さすがに下宿部屋としては狭いのではなかったでしょうか。
でもまあ、なんなら彼女とここで妓楼ごっことかできて、それはそれで楽しいのかもしれませんが。
廊下に残るガス灯も、もう今では見ることのできないもの。いい味出してますね。
少し広めの部屋に飾ってあったお雛さま。
この川本邸では、ひな祭りの時期には大階段で豪華な雛飾りのイベントが行われているそうです。
細部にもこだわりが見える名建築
再び1階に下りると、中庭を望む大広間がありました。
床の間の中央にある黒い柱は槐(エンジュ)の木によるものだそう。
エンジュは名前が「延寿」に通じることから、中国では「出世の木」や「長寿の木」として大切に扱われてきたと同時に、魔よけの効果もあったのだと言います。
すごく豪華絢爛、という感じではないけど、こだわりを感じる造りですね。
裏庭の向こうは、当主の川本家の住居部分となっていたそうです。
ひとつの建物の中に主の家と妓楼としてのスペースが混在しているのも当時の遊郭建築の特徴だと言います。
こちらがお手洗い。
ちょっと奥が見にくいのですが、飾り窓がそれぞれ松竹梅になっているのもカッコいいですね。
そしてこれが浴室跡。
高い天井で、灯り取りの小窓もある開放的な空間なので、遊女たちもここでつかの間の安らぎを得ていたのかもしれません。
これはどこの部屋にあったのか忘れてしまいましたが、当時の遊女の小物入れだったようです。
「久子」とか「みゆき」とか、まだ今でも通用しそうな名前が残っているものもあって、ここが華やいでいた時代は、まだそんなに遠い昔の出来事ではなかったのかな、と錯覚してしまいそうです。
最後にお帳場。
正面にある小窓から、客と直接顔を合わせないようにやり取りできたんでしょうね。
そしてお帳場の玄関側のガラス窓に、また💛の猪目窓。
入ってくる客層を観察するためのものだと思いますが、ここにもこんな心憎い細工をするなんて、やっぱり遊郭文化は情緒がありますね。
<2022年9月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
大和郡山 町屋物語館「旧川本邸」の基本情報
大和郡山 町屋物語館「旧川本邸」への旅
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