バスを待っていました。
鹿児島に出張していたときのことです。
初めて訪れる小さな町の、南国風の街路樹の下のバス停でした。
僕の隣には、南国にしては珍しい、透きとおるように色の白い女子高生がいるだけでした。
「バス、なかなか来ないね」
「1日5本しかないし、鹿児島市内からここまで来る間によく遅れることがあるんです」
ふたりきりの気詰まりな時間に耐えられず、そんな風に会話が始まりました。
東京から観光の仕事でやってきた、という僕を珍しく思ったのか、彼女はその町のことをいろいろと話してくれました。
都会の人から見たら、きっと何もない、退屈な町だろうということ。
学校を卒業すると、ほとんどの友達が鹿児島や福岡に出て行ってしまうくらいだから、都会からやって来た人たちでこの町が賑わうなんてことは想像もできない、ということ。
でも一年中暖かくて、静かな町だから自分はずっとここに住んでいたい、ということ。
本当に2月とは思えない暖かな午後でした。
「だってもう菜の花も咲いてるのに・・・」
彼女は僕の着るコートを指差して笑って言いました。
「町はずれから海に突き出た灯台の丘にかけて、本当にどこまでもずっと菜の花ばっかりが咲いてるんです。都会の人に自慢できるのは菜の花だけかな。。。」
この町に関して事前に調べた資料で、菜の花が有名なのは知っていた、と僕が話すと彼女は
「じゃあ、菜の花バスの話って知ってますか?」
と言って、ちょっと恥ずかしそうな表情を見せたのでした。
『菜の花バス』と呼ばれる、黄色いバスがこの町のどこかにあるのだといいます。
でも誰も見たことがない、幻のバスなのです。
菜の花バスに乗って、終点にある町はずれの菜の花畑で抱き合うと、2人は一生結ばれる。
そしてそんな伝説だけがまことしやかにささやかれているのです。
「もちろん私も乗ってみたいんですけど、もし大好きな人が一緒じゃないときに、菜の花バスが来ちゃったらどうしよう、ってバス停で待っているときにいつも考えてるんです」
そんな話を聞きながら、菜の花バスの話は話題づくりに使えるかもしれないな、とぼんやりと考えているとき、ようやく遅れていたバスがやって来たようでした。
彼女の表情が凍っています。
やがて、見たこともないような鮮やかな、黄色いバスが目の前に停まります。
🚍 🚍 🚍 🚍 🚍 🚍 🚍 🚍 🚍 🚍
バスの中で彼女は黙っている。
乗客は僕たちのほかにはいない。
一番後ろ座席に、僕たちは2人っきりで並んで腰掛けたまま、バスに揺られている。
菜の花バスは不思議な乗り物だ。
ずっとこうしていつまでも、どこまでも、揺られていたい気分にさせてくれる。
「本当は、大好きな人と乗りたかったの・・・」
そういって彼女が僕にもたれかかる。
「菜の花畑にうもれて、裸で抱き合いたかったの」
「大好きなひとがいるの?」
「今は、いません。でもいつかできるかもしれないけど」
「そのとき、また菜の花バスに乗ればいいさ」
ううん、と大きく首を振って彼女は言った。
「菜の花バスは一度しか現れないの。だから、今日、菜の花畑に連れて行ってください」
菜の花バスはいつまでも、どこまでも走る。
こうしてずっと旅しているのも悪くないな、と思う。
でも、たぶん、菜の花畑はもうすぐだろう。
ちいさな町の市街地を抜け、バスは海へと続く丘陵を登り始める。
ここを越えたら、きっと一面の黄色い世界だ。
降車用のチャイムが鳴る。
僕は彼女の身体をそっと引き離し、降車口へと背中を押す。
菜の花畑を見下ろす丘のてっぺんで、彼女はバスから降りてゆく。
町の市街地へと戻ってゆく彼女を車中からいつまでも見送りながら、僕は菜の花バスで終点へと向かう。
僕がこの町の仕事をさせてもらうようになれたら、きっともう一度、君のために菜の花バスを走らせてあげるよ。
だから今日はさようなら。
大好きなひとが早く見つかるといいね。
一面の菜の花畑に囲まれた終点のバス停から、町の方へとゆっくりと戻っていく菜の花色のバスを見送ると、誰もいないはずの一番後ろの席に、今より少し大人になった彼女が誰かにそっと寄り添っている姿が見えるような気がしました。
<了>
幸せの黄色いバスへの旅
コメント