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Merry Christmas! My Sweet Mom

僕が覚えている母との初めてのクリスマスの記憶は、4歳のときのこと。クリスマスイブの日に、母とふたりで隣町のスズランというデパートに行ったときのことです。

その年の8月に僕の弟が生まれ、母は毎日ずっと家で子育てをしていたので、クリスマスのご褒美に父から外出のプレゼントをもらったのだと思います。その日は父が弟のお守りをして、母と僕が電車に乗って隣町のデパートに買い物に行ったのです。

僕も父に預けてしまえば、ひとりでつかの間の自由な時間を過ごせたはずなのに、なぜか母は僕を一緒に連れ出しました。その理由は結局一度も聞かないままになってしまいそうだけど。

当時、わざわざ電車に乗って隣町のデパートに行くことなんてめったになかったので、母はいつもよりもちょっとおめかしをして、僕にもよそ行きの洋服を着せてくれた(のだと思います)。クリスマスイブのスズランにはたくさんの人がいて、みんな両手に買い物袋をたくさん下げてニコニコしているようでした。母も僕の手を引きながら、楽しそうになにかの鼻歌を唄っていたような気がします。僕たちがそこで何を買ったのかは覚えていませんが、最上階の大食堂でクリームがたっぷり盛り付けられたパフェを食べたことだけは覚えています。

「ねえ、これはふたりだけの秘密だからね。ケーキはちゃんとあるからね。パパに言っちゃだめよ」

母はそういいながらスプーンを自分の口と僕の口に交互に運び、何度もおいしいね、と言いました。

母とふたりでクリスマスの日に出かけたことはあとにも先にもそれきりでした。弟が大きくなると家族4人で出かけることが普通になったし、中学校を卒業すると(当時の男子がみんなそうであったように)僕も親と一緒に出掛ける機会もなくなっていきました。

そんなわけで、その後しばらく母とのクリスマスの思い出はないのですが、彼女がよくクリスマスソングを唄っていたのを覚えています。

クリスマスイブの夜、最初はクリームシチューとケーキ、その後(ケンタッキーが日本に上陸した頃からは)それにチキンが加わったものが、僕の家の定番メニューでしたが、母はそれを用意しながら、真偽のあやしい英語の歌詞で(よくわからなくなると鼻歌に変えて)いろいろなクリスマスソングを唄っていました。

テンプテーションズの「Silent Night」や、ビング・クロスビーの「White Christmas」あたりまではよかったのですが、僕が高校生になるころにはワム!の「Last Christmas」とかを唄いはじめて、途中でサビ以外はほとんど鼻歌になっていたのを覚えています。それでも彼女はその時間がとても楽しそうだったし、それがうちのクリスマスイブの恒例でした。

なかでも母の一番好きだった歌は、山下達郎の「クリスマス・イブ」でした。もちろんそれは名曲中の名曲だったし、なにより全部日本語だったのがよかったのかもしれません。

僕が高校を卒業して家から出ると、彼女のクリスマスソングを聞くこともなくなりましたが、そのあと一度だけ、僕が母のクリスマスソングを家の外で聴いたことがありました。

それは僕が大学時代、札幌で過ごしていたときのこと。両親が札幌に遊びに来たのがちょうどクリスマスシーズンで、大通公園では「ホワイトイルミネーション」が点灯している時期でした。

彼女は何千、何万ものイルミネーションの洪水の中を歩きながら、お気に入りの山下達郎の歌を「雨は夜更け過ぎに~」と何度も何度も口ずさんでいました。僕は隣を歩きながら、札幌はこの時期には雨は降らないんだけどね、と嘲笑していましたが、それが彼女から聴く最後のクリスマスソングだとは思ってもいなかったのです。

クリスマスシーズンに実家に帰る機会がないまま、長い年月が過ぎました。やがて父が先にこの世を去り、母は田舎でひとり暮らすことになりました。

母がひとりぽっちのクリスマスをどう過ごしていたのかはわかりません。定番メニューで食卓を飾る必要もなくなったので、クリスマスソングを唄う機会もなかったのかもしれません。クリスマスくらい帰ればいいのに、と思いながら僕にはそれができないまま、彼女はやがて近所の高齢者施設に入居しました。

施設ではクリスマスはどうしてるの?と一度だけ聞いたことがあります。

ロビーにクリスマスツリーが飾られたり、小さいケーキが出たりはするけど、と彼女は言いました。

やっぱりもう一回、みんなであったかいシチューとチキンとケーキを食べたいね。

けれども新型コロナの影響で、施設では厳しい外出制限と面会制限があり、3年間、母のその願いはかなえられることはありませんでした。その間に彼女の記憶の中で、ゆっくりと、しかし確実に、いろいろな想い出が薄まっていき、クリスマスの存在自体も消滅しかかっているかのようでした。

最後にもう一度、彼女のクリスマスソングが聴けるだろうか。

スズランのレストランはクローズし、食卓を囲んだ父ももうこの世にいない。永く住人のいなかった実家も、もうクリスマスパーティーができる場所ではない。

それでも、かつて見たイルミネーションの洪水や、シチューの匂い、ビング・クロスビーやワム!そして山下達郎の「クリスマス・イブ」のメロディーを聴いたら、あの頃を思い出してくれるかもしれない。

Merry Christmas! My Sweet Mom!

さあ、最高のクリスマスパーティーをはじめよう。

<了>

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