頭ヶ島(かしらがしま)天主堂は、有川から1日3往復(当時)だけ運行されるバスの終点、島の最東端にありました。
有川にある病院からの帰りでしょうか、全員が顔なじみらしい数人のお年寄りと、この島の人は誰も知らないよそ者の僕を乗せてバスは出発します。
その老人たちも、友住という、小さな漁港のある集落で全員降りてしまうと、車内は完全に貸切になりました。
頭ヶ島は、中通島の東端と頭ヶ島大橋で結ばれた小さな島。中通島の本島から頭ヶ島へと海を渡る、絶景の橋を越えるのも僕ひとり。
頭ヶ島に渡り、海岸近くまで下ると、バスはそこで終点となります。
海に向かって教会の墓地が広がっています。
かつて1軒をのぞいて皆キリシタンだったという頭ヶ島の信徒は、明治政府のキリシタン弾圧の際、全員がいったん島を離れ、迫害が終わってから再びこの地に戻ってきたのだといいます。
バスを降りて、山の方にちょっと上がると、そこに頭ヶ島天主堂がありました。
この教会は、鉄川与助の代表作。
全国でも珍しい石造の教会堂で、意匠も優れているため、世界遺産となった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成遺産の一つ。この中通島で世界遺産に登録されている教会は、この頭ヶ島天主堂のみとなります。
当時はまだ世界遺産登録前だったため、バスを降りたのはもちろん僕ひとり。
付近にも人の気配は全くありません。
そこは隠れキリシタンが身をひそめるため、辺境の島のさらに先端の、断崖に囲まれた湾内にひっそりと建てられた、静かな、静かな天主堂でした。
僕は誰もいない石段を登って、誰もいないはずの礼拝堂へと向かいました。
雲一つない、明るく晴れわたった空の下から急に屋内に入ったせいでしょうか、教会の中は最初、思ったより暗くひんやりと感じられました。
だんだんと目が慣れてくると、正面の祭壇がゆっくりと明るく浮かび上がってくるようでした。
彼女はその手前、入口から祭壇へと向かう、赤いカーペットが敷かれた身廊の上でひざまずいていました。
何かを祈っているのでしょうか、正面の十字架の方を向いたまま、動きません。
僕が慌てて踵を返そうとすると、待って、と声がしました。
「私は気にしないで、どうぞお入りください」
彼女はそう言いました。
こんな平日に、珍しいですね。
彼女はそういいながら立ち上がって身廊の脇の椅子に腰かけました。
今のバスで来られたの?
僕がそうだ、と答えるとゆっくりと頷きながら、どちらから?と聞いてきました。
東京からだ、と答えると、彼女はあらっ、という表情を見せました。
彼女も3か月前に東京からここに移り住んできたのだといいます。
この教会から海の方にちょっと下ったところにある小さな空家を借りたの。
開け放たれた窓から教会を通り抜ける風が、彼女の白いブラウスを微かに揺らせます。
年の頃は、当時の僕より下であることは間違いなさそうですが、そう大きく離れているようには見えませんでした。
ひとめでこの教会が気に入っちゃったのよ。
私も6月の良く晴れた午前中、誰もいない時にひとりでここに来たの。
それで今日みたいにここでお祈りしてたら、もうそのまま帰りたくなくなっちゃったの。
彼女はクリスチャンではありませんでした。
でも洗礼を受けたかどうかは私にとってはどうでもいいことなの、と彼女は言いました。
こうやって、ここで毎日お祈りできれば、それだけでいいの。
30分ほど前、たったひとりの乗客の僕をここまで乗せてきて、そしてまた僕以外誰も乗せずに折り返し出てゆくバスの出発時間が迫っていました。この便を逃すと、夕方の最終便までここに取り残されることになります。
彼女にはそんな僕の心の動きが透けて読めるのでしょうか、このあとどうするの、と絶妙なタイミングで問いを投げかけたあと、ゆっくりと立ち上がり祭壇の方に歩みながらこうつぶやきました。
自分で選んだこととはいえ、こんなところにずっと一人でいると、時々人恋しくなることもあるのよ。
僕には彼女が人恋しい、と言ったようにも、人肌恋しい、と言ったようにも聞こえ、心の乱れはますます深まるばかりでした。
私、洗礼を受けたわけじゃないの。だから敬虔なクリスチャンとかそういうのとは全然違うの。
ちょっと前に聞いた、彼女の言葉が頭の中で何度も繰り返し響いています。
もしも心と体を二つに分けられるのなら、と僕は言いました。
どちらかをバスに載せて、どちらかをここに残すんだけど。
残念ながら僕にはそれができない。
できるわよ、私なら。
彼女は突然振り返って、僕の左胸に右手を当ててそう言いました。
そうして永い間そのまま僕の前で目を閉じていました。
嘘よ。
予想通り、バス停には誰もいない空のバスが、重い体を横たえる年老いた動物のような姿で停まっていました。
いつまでここにいるつもりなの?
ドライバーの姿が見えないので、僕はまだバスには乗りこまず、後部ドアのステップの前で彼女にそう聞きました。
もうじゅうぶん気が済んだ、っていうところまでお祈りし終わるか、
ここが世界遺産になっちゃって、人がたくさん来るようになる前までかな。
どっちが先になるか、自分でもまだわからないけど。
すいませーん、という声とともに、ドライバーが海岸のほうから駆けあがってきてバスのエンジンをかけました。
この時間に一人で来るお客さんは、たいてい折り返し便には乗らないんで、今日も誰もいないと思ったんだけどね。
その言葉にちょっと驚いて顔を横に向けると、そこにはもう彼女の姿はありませんでした。
<了>
世界遺産登録後の頭ヶ島天主堂について
日本西端、辺境の島、五島列島。
そのさらに先端にあるこの頭ヶ島同様、潜伏キリシタンたちに守られてきた教会は、昔は小船でしか来られなかったような海と崖の果てに数多く残されています。
その環境の厳しさと、信者たちの信仰の深さは比例するのでしょうか、そんな場所に残された教会ほど、厳かで、気高く、美しく感じられるのです。
世界遺産登録により、こうした静かな環境が破壊されていくのは幸せなことではありません。また、この小さな島に数多くの観光客を受け入れるためのインフラはまだまだ十分とは言えません。
そのため世界遺産に登録された頭ヶ島天主堂の見学には、事前連絡が必要となりました。また、訪問は上五島空港からシャトルバスでのパーク&ライド形式となり、車での訪問はできません。(詳細は下記関連URLを参照)
また、たとえ世界遺産でなくとも教会訪問の際は見学マナーを守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください(珍しく真面目なお願いです)
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