信州上田の郊外、塩田平を望む丘の上にひっそりと建つ美術館「無言館」をご存知ですか?
そこは、立派な建物の中に有名画家の作品が並んでいるような美術館ではありません。
たくさんの観光客がどっと押し寄せるような場所でもありません。
そこにあるのは戦没画学生たちが遺し、誰にも知られずに眠っていた作品だけ。
けれども、これほど人の心を強く動かす作品を、こんなにたくさん持つ美術館を、僕は他に知りません。
「無言館」との出会い
その日、信州塩田平を歩いていると、「無言館」という看板が僕の視界に飛び込んできました。
僕の記憶の片隅で静かに眠っていた何かが目を覚まそうとしていました。
そして僕はここについての記事を以前、新聞で読んだことを思い出したのです。
ここは、戦没画家の画だけが集められた美術館。
正確にいうと、徴兵により画家になる夢を断たれ、戦場に散った美術学生たちの遺した絵を展示する美術館でした。
案内看板に誘われるように、県道を外れ、小さな集落を抜けて山道を登っていくと、小高い丘陵の上にそれはありました。
「無言館」の名前の由来
「無言館」は、徴兵により画家や彫刻家、あるいはデザイナーや建築家などになる夢を断たれ、戦場に散った美術学生(戦没画学生)たちの遺した絵だけが展示されている美術館。
館主の窪島誠一郎さんは、その名前の由来を自ら著した絵本の中でこう書いています。
なぜ「無言館」っていう名をつけたかって?
だって 戦死した画学生さんの絵の前に立ったら
悲しくて くやしくて つらくて
何もいえなくなっちゃうんだもの
黙るしかないんだもの
でもたくさんの人たちに
「無言館」にきてほしい
そして黙って
画学生さんの絵の前に立ってほしい
窪島誠一郎 「約束 『無言館』への坂をのぼって」
戦没画学生の絵の前では誰もが無言になります。
そしてときどき誰かが静かに鼻をすすりあげる音だけが響くのです。
無言館の絵が語るもの
無言館の建物は、余計な装飾を一切排除したようなシンプルなコンクリート造り。
正面には窓がなく、一人ずつしか入れないような木製のドアがあるだけ。入場料金は出口で支払うしくみのため、受付やチケット売り場もなく、ドアを入るとすぐに展示スペースが始まります。
作品を照らす以外の照明は極限まで落とされていて、館内は薄暗く、静まり返る中、十字の形をした展示スペースの壁に沿って画学生たちが遺した作品が飾られています。
作品は全部で100点くらいでしょうか。ひとりの画家の作品数はさほど多くはありませんが、その分、数多くの画家たちの作品が並んでいます。
それぞれの画家の紹介では出身地、出身美術学校、戦死した場所、そして最後に享年が記されています。
ほとんどの学生が20代から30代前半で、その貴重な才能を奪われてしまったことがわかります。
館内は撮影禁止のため、ここでは作品はお見せできないのですが、彼らが遺していった数々の作品は、何ひとつ物音のしない静謐な美術館の中で、もちろん無言のままそこにあるのですが、無言であればあるほど、声なき叫び、声なきメッセージが、伝わってくるかのようです。
若く、細身の裸婦の画。
そしてその説明。
「あと五分、あと十分この絵を描きつづけていたい。外では出征兵士を送る日の丸の小旗が振られていた。。。
生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから…。安典はモデルをつとめてくれた恋人にそう言い残して戦地に発った。しかし、安典は帰ってこれなかった」
昭和20年4月19日、ルソン島にて戦死。享年27歳。
彼らの作品には妻や恋人、祖母や姉妹など、女性を描いたものが圧倒的に多く残っています。
残された時間に限りがある中、彼らが最後に描いたのは、こうした彼らの最も愛する人の絵だったのかもしれません。
館内中央部のガラスケースには、彼らの様々な遺品が並んでいます。
使い込んだ絵筆をはじめとする画材セットやスケッチのノート。
色あせた写真、戦地から家族へ宛てた手紙。
招集令状、そして戦死の報告書類。
鹿児島・知覧の特攻記念館の展示とは似たようなものもあり、異なるものもありますが、どちらもそれが見る人の心に深く響く、という点では変わりません。
無言館第二展示館は「傷ついた画布のドーム」
無言館から坂を少し下った場所に、第二展示館「傷ついた画布のドーム」があります。
ここは無言館が開館したあとに収蔵された作品や常設できなかった作品などを展示するためにできた新館。名前の通り内部はドーム天井になっていて、やはり戦没画学生たちが遺した絵画やデッサンが、広大なドーム天井を埋め尽くしています。
天井が高いためか、こちらの方が無言館よりもやや明るく開放感がある感じはしますが、ここに飾ってある作品も、無言館と大きくは変わりありません。
無言館と異なるのは、ここには「オリーヴの読書館」と呼ばれる読書室がある点。こちらには併設してレストランもあります。
無言館の敷地内にあるモニュメントの意味
無言館の敷地内にはたくさんの絵筆がはめこまれたコンクリート製の大きなモニュメントが建っていますが、その上部の一画に、赤いペンキを叩きつけたようなデザインがあります。
2005年に無言館の中庭に立つ「記憶のパレット」というモニュメントが赤いペンキで汚される、という事件があったのですが、それを受けて、無言館が多様な見方の中にある美術館であることを忘れないために、敢えてデザインされたもの。
そしてその横にあるのは同じ灰色で塗られた「開かないポスト」。
平和への願いや、夢、想いなど、今の気持ちをこのポストに投函すると、このポストのまま永久に保存されるのです。
新聞で読んで、いつか機会があったら行ってみたいな、と思いつつ、いつの間にか記憶から消え去っていた無言館。
今回、塩田平を歩いていてたまたま見つけることができたのですが、この偶然に、とても感謝しています。
一生に一度でいいのでぜひ見てほしい、そしてそれをまた誰かに伝えてほしい。
無言館は、そんなふうに思える美術館です。
みなさんも機会あったら一度、行ってみてください。
<2013年3月/2016年1月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
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