平成27年に世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。
僕は世界遺産登録前の五島列島の教会めぐりに行ったことがあるのですが、その時出会ったかつての潜伏キリシタン教会堂の孤高で荘厳な佇まいにとても心を打たれました。
一方で、そういった教会堂は五島とか天草、平戸沖など、絶海の孤島にあるというイメージを持っていたのですが、実は意外にも長崎市内からそう遠くない地域に世界遺産の構成資産となっている素晴らしい教会堂が残っていたのでした。
長崎から路線バスで外海へ
最初は長崎沖の東シナ海に浮かぶ池島というところに行こうと思っていたのです。
池島は第2の軍艦島とも呼ばれ、かつて炭鉱で栄えた島。現在も人が住んでいるため船で自由に渡ることができ、炭鉱坑内体験ツアーなども行われているのですが、僕が行く予定だった日の坑内ツアーが台風被害の復旧工事のため中止となってしまったのです。
代わりの場所、どうしようかな、と地図を眺めていると、池島へ行く途中の外海(そとめ)地区に世界遺産になっている教会がありました。
長崎市街から比較的近いところに大浦天主堂以外の世界遺産の教会があるなんて知らなかったので、まったくノーマークだったのですが、調べてみるとなかなか清楚でいい感じ。
そんなわけで、急遽「長崎・外海の世界遺産集落と教会堂めぐり」が始まったのでした。
外海は長崎市の北西、東シナ海に面した海辺の地域。この地域へのアクセスは長崎市街から西海市の大瀬戸・板の浦方面行きのバスがメイン。
バスは長崎市街を抜けてJR道ノ尾駅の先から西へ進み、長いトンネルを越えると外海の海岸沿いに出ます。
長崎バスターミナルを出て1時間20分ほどで「出津(しつ)文化村」のバス停に到着します。
東シナ海に面したこの出津の集落は江戸時代に潜伏キリシタンが多く暮らしていた地域。
ここは禁教後、明治時代にフランス人宣教師ド・ロ神父により作られた「出津教会」をはじめとするキリスト教関連施設が残っているため「出津文化村」という名称で呼ばれているのです。
出津教会堂と出津救助院
バスを降りて海と反対側の高台を望むと白壁の出津文化村の施設群を望むことができます。
出津教会は1879年、この地に赴任したド・ロ神父が信者と力をあわせ1882年に完成させた白亜の清楚な教会。
色白できれいな肌をしてるのに、ちょっとお尻が重そうに見えちゃうのは、海岸の高台に面しているので台風で風を受けにくくするため屋根が低く作られているからだそうです。
裏側にまわると、お城の石垣のようなものがありますが、これは国の重要文化的景観に選定されている「長崎市外海の石積集落景観」のひとつ。
結晶片岩の石に赤土や藁すさを練り込んで築いた「ネリベイ」のほか、ド・ロ神父によって藁すさの代わり赤土に石灰を混ぜた「ド・ロ壁」など、この集落には石積み構造物が数多く残っているのだそうです。
この「出津救助院」の石垣もそうですね。
「出津救助院」は生活に困った住民を救うためド・ロ神父が教育や授産事業を行う場所として1883年に設けたもの。
救助院なんて名前だから病院みたいなところかな、って思ってたんだけど、そうじゃなくってマカロニ工場とかがあったらしいです。
海を見下ろす高台に遠藤周作さんの「沈黙の碑」がありました。
「沈黙」はキリスト教徒でもあった作家、遠藤周作さんが、キリスト教弾圧下にこの地区にやってきたポルトガル人宣教師を描いた作品のため、ここにその記念碑があるのです。
実はこことは別に「遠藤周作記念館」があって、僕は間違えてそこでバスを降りそうになってしまい、ドライバーに怒られちゃいました。
その時のお話がモチーフになってちょっとせつないショートストーリーになってるのでぜひ読んでみてください。
民家のような小さな大野教会堂
出津文化村からバスで7、8分、外海のもうひとつの世界遺産集落が「大野集落」。
そのシンボル、大野教会堂は九折の坂道を登って行った上にひっそりと佇む小さな教会でした。
まるで民家のようにコンパクトで鐘楼の塔もありません。
この教会は大野地区26戸の信徒のため、出津教会堂の巡回教会として、1893年にド・ロ神父によって建てられたもの。
大野地区も石積みの集落として世界遺産の構成要素のひとつとなっていますが、この教会も現地の石を積み上げて外壁が作られ、独特の雰囲気を醸し出しています。
この教会ができたときはすでに禁教は解かれていたのですが、僕にはキリシタンが息をひそめて隠れていた、禁教時代の教会堂のようにも見えました。
大野の坂道をブラブラと歩いていると、地元のおばあさんが「辻神社に行くのか?」と助手席から声をかけてきます。
特に行く予定もなかったのですが、おばあちゃんがわざわざ道を教えてくれたので、さらに山を登って行ってみることにしました。
ここは隠れキリシタンたちが表向きは仏教寺院に所属しながらも、ひそかにキリスト教信仰の対象としてきた神社だったのだそうです。
そんな話を聞くと、境内にあったこの地蔵も、なぜか聖母マリアさまのように見えてきます。
辻神社から急な坂道を下っていくと、東シナ海上には本当は行くはずだった池島の姿が見えてきました。
島の高台にあるのはかつての炭鉱アパート群でしょうか?
ほとんどは廃墟ですが、一部まだ人の住んでいるところもあるようです。
結構リアルですね。カッコいいです。
海辺の低地にもアパートや炭鉱施設の跡が見えます。こっちの方に人が住んでいるのでしょうか?
池島にもやっぱり次回行ってみたいと思いました。
<2020年11月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください。
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