written by Sae Haneda
この作品は、僕が書いたショートストーリー「旅のうた/恋のうた」を、トラベルjpや肥後ジャーナル、noteなどで活躍しているライター、羽田さえさんが、ヒロインの目線で書き直してくれたものです。
(僕の元作品は一番下にあります)
旭岳ふもとの街の⾬上がり ケーキを⼆つ選んで帰る
短歌が⾃然に⼝をついて出るなんて、何年ぶりだろう。
旭川市の隣、東川という⼩さな町のメインストリートを歩きながら、⾃分でも驚くほど⾃然に歌ができた。
「え?いきなりどうしたの?」
久しぶりにできた拙い歌は、隣を歩いていた先輩にしっかり聞かれていたようだった。
「あれ、前にお話したことありませんでしたっけ?私、昔、うたを作ってたことがあるんです」
「うた?うたってあの、五・七・五・七・七のやつ?」
先輩は⽂学部国⽂学科の2つ上にあたる。もう20年以上の付き合いになるけれど、こんなふうにふたりきりでどこかに泊まるのは初めてだった。
毎年夏になると東京からふらりと北海道へ戻ってきてはあちこち旅している先輩から、東川町の「暮らし体験館」に泊まってみたいという話を聞いたのは数ヶ⽉前のことだった。
移住を考えている⼈や東川町に興味を持つ⼈に向けて作られた町営の宿泊施設である「暮らし体験館」は3LDKの間取りで、マンションのような作りの集合住宅だという。
1⼈で⾏くような施設でもないからねという⾔葉に、私も⾏きたいです、と深く考えずに⾔ってしまったのが、今回の旅のきっかけだ。
「え、部屋はいくつかあるけど、⼀つ屋根の下だよ?」
「寝室は3つあるんですよね、だったら私のほかにも誰か誘って3⼈で⾏けば⼤丈夫じゃないですか?」
国⽂学科の同級⽣だったカナちゃんに声をかけて、3⼈での旅を計画した。札幌から旭川経由で東川に⼊り、暮らし体験館に宿泊。翌⽇は帯広に住んでいる友達のところへ泊めてもらうことにした。
久しぶりに学⽣時代のような、特に何をするわけでもない旅に出たいと思った。
ごめん、⼦供が熱を出してずっとぐずってて、うちの親も預かるの怖いって⾔い出しちゃったの、とカナちゃんから連絡があったのは、出発する前⽇の深夜だった。カナちゃんは、5歳の⼥の⼦の⺟親なのだ。
いいよ気にしないで、リノちゃん⼤丈夫?お⼤事にね。そんな話をして電話を切った。
カナちゃんが不参加となり、先輩は私とふたりだけで⾏くのを少しだけためらっているようだった。
「私はもう全⼒で⾏く気だったんですけど、ふたりきりじゃいやですか?せっかくいろいろ調整して時間作ったので、できれば予定通り⾏きたいと思ってます…」
ちょっと強引にそう⾔って、とにかく出かけることにした。
信じられないほど暑い毎⽇が続く今年の夏には珍しく、⼣⽴が上がるとすっかり涼しくなった。
先輩と⼀緒に「暮らし体験館」から歩いて買い物に出かけた。
⽊⼯細⼯で知られる東川らしく、商店街の店先には⽊製の看板がずらっと並んでいる。旭岳のふもとという⽴地も⼿伝って、スイスあたりの⼭岳リゾートに少し似ているような気もする。
街で評判だというピッツェリアでパンチェッタとレモンのピザをテイクアウトし、⽼舗のケーキ屋「てんげつあん」で⽣ケーキをふたつ買った。ふたたび先輩と連れ⽴って、ホテルでもない家でもない「暮らし体験館」に戻る。
短歌がふと浮かんだのは、そんな⾮⽇常の時間のせいだろうか。
部屋へ戻り、余市蒸留所のアップルワインとサッポロビールで乾杯した。先輩は昔から、サッポロビールが好きだったな、と思った。
泊まるのは、東川町メイドの⽊製家具が並ぶ3LDK の部屋だった。
北欧家具のような、シンプルな中にひとさじのデザインのあるダイニングテーブルが真ん中に置かれている。あたたかくてやさしい、居⼼地の良い部屋だった。
ひろびろと3LDK 暮らすような 旅なり東川の⼣暮れ
また何気なく短歌ができた。
君が短歌を作っていたなんて初めて聞いたけど、卒論で源⽒物語をやってたのと関係あるの?
と先輩は不思議そうに⾔った。
「⼤学1年⽣のとき、偶然著名な歌の先⽣と知り合って教室に通ってたことがあるんです」
「え、それじゃ僕がまだ研究室にいた頃じゃないか、当時はそんなこと知らなかったよ」
「だってあのころ詠んでいた歌なんて⾃分の⾝の回りの些細なことや、実りもしない恋の歌ば
っかりで、恥ずかしくて⼈に⾒せられるものじゃなかったもん」
「じゃあ当時ひとつやふたつ、僕にも歌を詠んでくれたらよかったのに」
「えー、先輩のことは詠んだかな・・・内緒です」
ほのかにレモンの効いたピザはさっぱりとして、りんごのワインによく合った。
シャインマスカットのタルトを⾷べ始めた頃には、先輩は部屋の割りふりを考え始めたようだった。
「⼀番奥の部屋を荷物置き場にしようか。3⽇前に東京を出てから⼀度も洗濯してないから、そろそろ洗って⼲さなきゃ。」
暮らし体験館には冷蔵庫やオーブンレンジのほか、洗濯機や洗剤までひととおりそろっていた。
カナちゃんの寝室ではなく物⼲しスペースになった部屋に、先輩は洗濯物を⼲した。
T シャツを⼲すのを少しだけ⼿伝いながら、学⽣時代にもこんなふうにバスタオルや靴下を⼲すのを⼿伝ったことがあったような気がした。20 年も経ってまたこんな時間が来るなんて不思議だな、と思った。
「夜中に寂しくなったらこの部屋に集合しましょ、って⾔おうと思ったけど、こんなに洗濯物に占領されちゃった」
アップルワインが効いてきたのか、そんなことをつぶやいたが、先輩からの返事はなかった。
拾いにくい発⾔だったかな、と後悔し始めた頃になって、ようやく先輩が⼝を開いた。
「どうせならそれも歌で詠んでくれればいいのに」
「いいんですか?私が先輩に向けて歌を詠んだら、返し歌を送ってもらうのがルールですけど…」
先輩の歌を聞いてみたいと思った。
静かな夜が来て、⾳もなく朝になった。よく晴れていた。
朝ごはんは、近所の⼩さなパン屋さんで買ってきた焼きたてのパンだ。先輩はカウンターに⽴って、たっぷりのコーヒーを淹れてくれた。とても⾃然で、どこまでも穏やかな朝だった。
洗い物を済ませ、少しずつ荷物を⽚付けた。
もうちょっとだけここで暮らしてみたいな、と思いながら、「暮らし体験館」を後にした。先輩も、いつになく⼝数が少なかった。
東川からは層雲峡を通り、三国峠を越えて帯広までドライブするルートだった。先輩は夜には帯広駅でレンタカーを返して、列⾞で札幌に戻るという。
くっきりとした⻘空の下だが、この⽇も涼しかった。層雲峡に差しかかると、さらに気温が⼀段下がったような気がした。銀河・流星の滝近くの駐⾞場で⾞を⽌め、ひと休みすることにした。
⼤雪⼭は「カムイミンタラ」、アイヌ語で神々の遊ぶ庭、と⾔われる⼟地だ。9⽉の終わりには辺り⼀帯が紅葉する。8⽉半ばの今でも⽊陰はひんやりとして、⻑袖のカーディガン⼀枚では肌寒いくらいだった。
⽊彫りのヒグマの置物がやけにたくさん置かれているレトロな売店をのぞいている先輩に、「⼀⾸作ってください」とお願いしてみた。
いつまでも昭和のような層雲峡 ⽊彫りの熊がめっちゃ売ってる
思った通りの、いや思った以上に素敵な歌が返ってきた。うれしくて、思わず声をたてて笑った。
先輩は、笑うなよひどいな、なんて⾔っている。
「先輩のそのまっすぐな感性、きらいじゃないです・・・あ、わたし、めちゃめちゃ上から⽬線でコメントしてますけど」
もう少しだけ⾃由に歌を詠んでもいいような気がした。
神々の遊ぶ庭という⾕を⾏く 寒いねと腕につかまってみる
「え?腕になんかつかまってないじゃないか」
私の返し歌を聞いて、先輩は⼼の底から不思議そうに⾔った。
この⼈は、いつだってそんなことを⾔う。
「和歌は事実をうたうだけじゃないんです」
とだけ答えて、滝の向かいの遊歩道を歩いた。秋が近づいている匂いがした。
上川・北⾒・⼗勝の境にあたる三国峠を⼗勝側へ越えて、帯広へ向かって⾛った。
先輩が、かつてこのあたりを⾛っていた国鉄⼠幌線について話し始めた。
「もう廃線になってしまってずいぶん経つけれど、⼤学時代にバイクで⾛った懐かしい場所なんだよ。」
⾏ってみたい、と⾔うと先輩は⾞を停めてくれた。
⽊⽴の奥には、今なお「幌加駅」の遺構が残されており、線路がまっすぐに続いていた。そこにあるのは、どこまでも国鉄の残り⾹だった。またひとつ歌を詠んだ。
泣きそうなほどに国鉄幌加駅 いつかのあなたに会えた気がした
幌加駅から少し離れたところにあるのが、同じ鉄道遺構の「タウシュベツ橋梁跡」だった。
ここ数年は SNS などで話題になってずいぶん有名になってきたけれど、かなり⽼朽化が進んで危ういのだという。
近いうちに崩れ去るとも⾔われる橋梁跡は、湖の⽔位によって⾒えたり隠れていたりする。国道から少し⼊ったところにある、タウシュベツ橋梁の展望所に⾏ってみることにした。
ひとけのない林を抜けて展望台に着くと、湖の⽔位は思った以上に⾼かった。橋梁は完全に⽔没していて何も⾒えない。
展望台の⼿すりにもたれて湖を眺めながら、次は先輩の番です、と⾔ってみた。
先輩はしばらく黙って考えた後で、こんな歌を詠んだ。
タウシュベツ君の前では隠れてたけど 朽ち去る前にリベンジするよ
なぜそんなことを⾔うの、と思いながら、何も⾔えなかった。字余りがちょっと気になります、くらい⾔えばよかったのかもしれない。
いつの間にか⾬が降り始める中、⼣⽅5時半すぎに帯広駅に着いた。⼗勝っていつも晴れているイメージなのに珍しいね、と先輩が⾔った。
泊めてもらう予定の友達からは、帯広駅に着いたら連絡もらえればすぐ迎えに⾏くよ、というメッセが⼊っていた。ありがとうと答えながら、まだ⾏きたくないなと思った。
最終列⾞で札幌に帰るから、ばんえい競⾺を⾒に⾏かないか、と先輩が⾔った。夜のばんえい競⾺って、ちょっといい雰囲気なんだよ、と。
帯広競⾺場に着いても、⾬はまだ続いていた。
⾞から降り、先輩が持っていた⼩さな折りたたみ傘に⼀緒に⼊って競⾺場まで歩いた。しっとりとした夜が来ていた。
1レースだけ買おうと⾔われて、100 円だけ⾺券を買った。何となく名前がかわいいな、と思った⾺に決めた。ふたりとも、勝敗はどうでもよかった。
ナイター仕様の競⾺場は、⾬の中でイルミネーションがキラキラしていた。コースの向こうには線路が⾛っていて、⾛り去っていく特急列⾞の明かりが⾒えたりもした。
⼀本の傘に無理やり⼊る夜 ばんえい競⾺きらきら光る
そんな歌を詠んだ。
ふたりともさっぱり当たらなかったレースが終わって、再び帯広駅に戻った。先輩はこの後レンタカーを返すからと⾔い、駅前のロータリーに⾞を停めてくれた。
もうすぐ帯広駅に着くよ、と友達にメッセを送りながら、ここで何と⾔って別れたら良いのだろうかと思った。先輩も少しだけ寂しそうに⾒えたけれど、特に何か⾔ってくれそうな感じはない。
いつもいつもずるいな、と思った。
最後にもう⼀⾸作りたいと思いながら、何と詠んでもふさわしい歌にはならないような気がした。
「歌なんてずっと忘れてたんですけど、昨⽇急に思い出したんです、15年ぶりくらいに。それで気づいたんです。あ、わたしずっと歌なんか関係ない⽣活をしてたんだなって。でもこれをきっかけに歌、また少し詠めそうな気がしてきました。ありがとうございました。」
先輩にそう⾔って、⾞を降りた。
ロータリーで友達を待ちながらスマホを開くと、カナちゃんからメッセが来ていた。
「やっとリノの熱が下がって落ち着いてきたよ。東川、どうだった?」
札幌に戻ったら、カナちゃんに旅の報告をしよう。彼⼥は全部知っている。
20年以上前に、私が先輩に恋していた夏があったことも、そして先輩はそんなことに全然気づかなくて国⽂学科のゼミ仲間に夢中だったことも。
旅の途中、伝えられなかった歌がふたつあった。
タウシュベツ沈む湖畔の展望台 ⼿すりにもたれキスを待ち居り
⼀枚の壁の向こうに君がいて 寝室なんてひとつでいいのに
思いきって、しれっと二⾸の歌を先輩に送ってみようかと思った。
今ごろ札幌⾏きの特急列⾞に乗っているはずの先輩は、どんな歌を返してくれるかしら。
<了>
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