山形県の酒田市にある、かつては遊郭だった旅館、松山旅館訪問記、後編。
「宿のオヤジさんから気の遠くなるような歓待を受ける」との伝説を持つ松山旅館でしたが、拍子抜けするほどあっさり終わった前夜。
ところがそれは甘かった!実は「気の遠くなるような歓待」は朝に炸裂したのです。
朝食中にオヤジさん登場
元遊郭「松山旅館」の朝。
前夜は宿のオヤジさんからの日本酒攻撃に備えてヘパリーゼまで飲んでたのに、何も事件は起こらずぐっすり眠ったため、朝も気分は超爽快。
7時半になると女将さんが朝食の時間だというので、足取りも軽やかに元遊郭の迷路のような建物を食堂へと向かいます。
そしてここが食堂。
普通の居間ですね。おばあちゃんち?
朝食もおばあちゃんが頑張ってたくさん作りすぎちゃったレベルのボリュームです。
そんな朝食をおいしく食べていたら、オヤジさん、本日初登場。
あー、風祭さん、どうですかうちの母ちゃんの朝ごはんは?おいしいでしょ?日本一の朝ごはんだよね。
んでうちの母ちゃんは美人でしょ?なんたって岸洋子の妹だからね、知ってますか岸洋子?
えっ?は、はい、岸洋子さんですね(聞いたことはあるけど・・・)
言われてみれば、女将さんお歳は召しているけど美人だし、ひとあたりもいいし、なんとなく上品な感じもしたので、あとで調べてみたら、岸洋子さんの出身地はなんと酒田でした。
岸 洋子(きし ようこ、本名:小山 洋子(こやま ようこ)、1934年5月23日 – 1992年12月11日)は、日本のシャンソン歌手、カンツォーネ歌手。所属レコード会社はキングレコード。山形県酒田市出身。
Wikipedia
きっとこれはオヤジさんの出まかせではなく、本当なんでしょうね。なので女将さんのイメージは岸洋子さんの写真をお借りしていました。
おとうさん、朝ごはんの邪魔しないでくださいよ
女将さんにたしなめられたオヤジさんは居間から出て行き、再びおいしい朝食の時間が戻ってきました。
が、その2分後、再びオヤジさん登場。
あー風祭さん、ちょっと見せたいものがあるんだけどこっち来てくれる?
そういうと居間の奥座敷へと僕をいざないこんなものを見せてくれました。
これは遊郭時代にこの妓楼を経営していたオヤジさんの曾祖母(ひいおばあちゃん)の人形、だそうです。
あー、このひとはすごい人でね、このあたりの遊郭を全部仕切ってたんですよ。そりゃあもう、みんないろいろ相談に来てね、んでお金もどーん、と出してあげてね。
と言って、人形の脇にある色紙を説明してくれました。
なんでも、この近くの遊佐町出身で伊勢丹の専属?であった齋藤静村(せいそん)さんという方が作ってくれたものらしく、国宝級の価値があるものだと言います。
そのすごさは正直わからなかったし、「プロヒール」とかになってるけど、オヤジさんが一生懸命書いたのはわかるので、大いに感心しておきました。
あー、この人はすごい人でね、最後は尼さんになったんですけどね、んで戒名知ってますか、戒名?その戒名がね、「院殿(いんでん)」号なんですよ、院殿。
院殿っていうのはね、将軍とか大名に使われてた戒名でね、今だと内閣総理大臣くらいかな、ね、すごいでしょ?
と言って位牌を僕の目の前にどーん、と置いて去っていきました。
そんなわけで僕は位牌を目の前にして、再び朝食を食べ続けました。お味噌汁がかなりさめてたけど、頑張って全部食べなきゃ、と思いながら。
しかしその2分後、再び再びオヤジさん、登場。
あー、風祭さん、西郷隆盛は知ってますか?西郷隆盛。んで今日はね、せっかくだからこれあげましょうかね。
そういって手渡されたものがこれ。
南洲翁というのは西郷隆盛のこと。どうやら荘内南洲会という組織があるらしく、そこが出している西郷隆盛の遺訓集のようです。
そのあともオヤジさんは2分に一回は僕の前に現れて、政治のこととか、相撲のこととか(オヤジさんはかつて日大の相撲部だったらしく、相撲界のパトロンのようなことをやってるらしい)、ロシアのウクライナ侵攻について延々と語り続けていました。
朝ごはんに1時間もかかっちゃった!
松山旅館の館内めぐり
ようやく朝ごはんを食べ終わった僕は、女将さんに声をかけて館内をちょっと見学させてもらうことにしました。
まず僕の泊まった部屋の隣にある「茶室」と書かれた部屋に潜入します。
今は茶室として使われていないようでしたが、めちゃめちゃ妓楼っぽいお部屋!
昔の妓楼のお部屋はこんな感じだったんでしょうか?男女がほんのひととき、はかなくも濃密な時間を過ごすのにはこれくらいがちょうどいいサイズのような気もします。
松山旅館は間口は狭かったのですが、中庭の三方をぐるりと囲むようにずっと奥まで部屋が続いています。
これが横綱特別室の奥のお部屋だったかな。
4畳半のお部屋ですが造りは立派ですね。ここもつかの間の男女の逢瀬にはちょうどいい空間かもしれません。
中庭も純和風でなかなか趣がありますね。
と思ってたらこんなのもあってちょっとワンダーだったけど、ドンマイ!
妓楼によくある、隠し階段。
この松山旅館も建物の造りは複雑で、僕は泊まった部屋は中2階のような場所でしたが、隠し階段の上には2階の部屋があるようでした。オヤジさんたちはここで生活しているのかもしれません。
松山旅館のお風呂場。
夜遅かったのでお風呂には入れなかったのですが、朝シャワーは使うことができました。
脱衣場も広く、男女二人で入っても全く問題ないですね。
妓楼のお風呂なら、もう少しそれっぽい雰囲気ならいいのに、とよく思うのですが、よく考えてみたら当時の妓楼ではお客さんと遊女が一緒にお風呂に入ることはなかったんですね。あくまでも生活用のお風呂だったので、こんなもんだったのかもしれませんね。
今は住宅街の一角で、表からみると普通の家のように見えた松山旅館ですが、やはり館内には随所に妓楼時代の名残がありました。
いよいよ出発、涙のお別れ、のはずが
館内めぐりも終わり、チェックアウトのため1階に下りて女将さんに声をかけると、気配を感じたオヤジさんが再び登場。
あー、風祭さん、もうお帰りですか?もっとゆっくりしてったらいいのに。
んでこれからどちらに行くんですか?え?駅ですか?
僕はこのあと酒田駅から列車に乗る予定だったので、ゆっくり駅まで歩いて行こうとしていたのです。
あー、駅まででしたらね、ちょっと距離があって時間もかかるんでね、わたしが車でね、ちょっと案内しながらどうですか?早く着きますよ
オヤジさんの「2分に一回攻撃」を受け続けたあとなので、ちょっといやな予感がしないでもなかったのですが、わりと時間に余裕もあったし、そもそも断れる状況にないような気がしました。
あー、はい、では時間に限りがありますが、ぜひ・・・
ちなみに、今回の宿泊代は朝食込みで1泊6900円(だったかな)。GWで横綱特別室に1人利用で泊まってこの値段ですから、穴場中の穴場と言えるでしょう。まあ、予約時には宿泊料金も一切言われず、ここに来て初めて知りましたが。
まあ、正直なところもう商売はどうでもいいのでしょう。日々の話し相手がいて、この貴重な妓楼遺産を1日でも長く残すことに意義があるのかもしれません。
そんなことを考えながらひとり旅館をあとにしていたら、感動のお別れにもなったかもしれませんが、現実は外でオヤジさんが僕を待っていました。
あー、風祭さん、さあさあこれに乗って、私もトシですからね、安全運転でね。
とかなり年季の入った軽自動車に僕を乗せ、出発します。
今は住宅街になっている、かつての遊郭街を走りながら途中でいろいろ説明してくれるのですが、その時速は10キロくらい。うしろから車が来よう自転車が来ようと全く意に介しません。
これ、ぜんぜん早く着かないやつやん・・・
時間がないのでひとつだけ、ということにして案内してもらったのが、松山旅館のすぐ裏手の山の上にある日枝神社。
ここは江戸時代に酒田の豪商であった本間家によって建立された由緒ある神社のようですが、オヤジさん、境内に観光客を見つけると捕まえて自ら解説をはじめます。
ああ・・・これはあかんやつや!
観光客への説明が終わり、ようやく僕のところに戻ってきたオヤジさんにかつて酒田市立図書館だった「旧光丘文庫」を案内してもらいます。
大正時代に本間家によって造られたこの歴史的な建物を再興したい、といったアツい思いを延々と語ってくれたオヤジさん、酒田が大好きなんですね。
でもそろそろ列車の時間、危ういんですけど!
駅まで送ってもらうと、あと3時間くらいかかりそうなので、日枝神社の坂を下ったところで車を降りてオヤジさんに別れを告げます。
あー、また酒田に来たら遊びに来てください。んで今度はもっとゆっくり案内できるからね。かならずね。
オヤジさん、今度はもっとゆっくり時間をとって遊びに来ますよ。日本酒に強い女子と一緒に。
この先、オヤジさんが旅館やめちゃったら、この貴重な遊郭遺産が消えちゃうかもしれないしね。
そんなことを思いながら酒田駅まで全力で歩きましたが、お目当ての列車はすでにとっくの昔に出発したあとでした。
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