桜坂は、雨が似合うと思う。
たった2回しか行ったことがないけれど、2回とも雨だった。いや、雨の日を狙って行ったというべきかもしれない。
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もう20年以上も前、桜坂のすぐ近く、東京の田園調布に住む女の子と仲良くしていたことがあった。
「田園調布っていうけれど、ナガシマさんとかお金持ちが住むのは、田園調布駅の西口から放射状に広がる高台の一画で、わたしが住んでいるのはホンモノじゃないほうの田園調布で、ほぼ多摩川なんです」
初めて彼女の家を訪れる約束をしたとき、困ったような笑顔でそう言っていたとおり、彼女の部屋は多摩川の土手に面した小さなアパートメントの3階だった。おまけに窓からの眺めは、多摩川そのものよりも河川敷にある野球場や、対岸の武蔵小杉のタワーマンション(当時はまだ今ほどすごくなかったけれど)ばかりが目立っていた。
桜坂は、そんな彼女の家から歩いて10分もしない場所にあったはずだったが、二人で歩いた記憶はほとんどなかった。あるいは桜のない時期に通りがかったことは何回かあるのかもしれないが、そこが桜坂だと認識していなかったのかもしれない。僕たちは多摩川べりの散歩が好きで、河川敷を歩いたり、ときどき土手に登って多摩川の少し上流のほうから「ホンモノの田園調布」と言われる場所(田園調布3丁目あたり)をよくブラブラと歩いていた。
そんなこともあって、桜坂を、桜の季節に二人で歩いたのはたった1度きり、それは福山雅治の「桜坂」が大ヒットした翌年の春のことだった。
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うたの舞台が彼女の住む(ホンモノじゃないほうの田園調布にある)桜坂だと知られると、連日多くのファンが詰めかけ、特に桜のシーズンは東京のメジャーな花見スポットに負けないくらいの人でごった返していた。
そんな3月下旬の日曜日、僕が彼女の家に遊びに行った日はあいにくの雨だった。
「今日はチャンスかもしれない」
僕が部屋に入ると、彼女が突然そんなことを言った。
「桜坂、わたしも一度くらいは満開の時期に行ってみたいと思ってたんですけど、人が多すぎてなかなかチャンスがなくて。でも今日は雨なので人も少なそう」
朝方は本降りだった雨も、お昼近くになってときおり細かな雨粒がバラバラと落ちる程度になっていた。ここからなら傘がなくても歩けそうだった。
東急多摩川線の沼部の駅を越えて少し歩くと、すぐにさくら坂上の交差点に出た。桜は見事に満開だった。
「不思議なことだけど、わたし、ここで満開の桜を見るのは初めてかもしれない」
人影もほとんどない桜並木の下を歩きながら、彼女はそう言った。霧のような雨に交じってときおり静かに花びらが舞っていた。
桜坂は、かつて旧中原街道の「沼部大坂」と呼ばれていた難所だったが、現在は切通しの道が拓かれ、ゆるやかな傾斜になっているのだという。
「素敵ですね。去年まではこんな感じで静かな場所だったのかな。なんで今まで気づかなかったんだろう」
彼女は左の手のひらをそっと僕の右手に添えて、導くように側道の坂を登り始めた。
桜並木の真ん中あたりに赤い欄干の桜橋があった。きっと晴れた日には、多くのカップルが記念撮影をする場所なのだろう。
「桜坂って、いい歌だと思うけど、福山雅治が唄うから成り立ってる歌だと思うんです」
桜橋の上から桜坂を見下ろしながら、突然彼女がそんなことを言った。
「別れた恋人に、ずっと幸せに、なんて言える男性、そんなに多くないんじゃないかな、って。福山雅治くらい余裕がないと歌えないかな」
自分から別れを切り出したわけではなく、長い付き合いの末、円満に別々の道を進む決意をしたわけでもなく、きっと好きで好きでたまらない人が去って行ったはずなのに、こんなふうに思える男性はきっと少ないし、余裕がないと言えないはずだ、と彼女は言った。
「あなたもわたしのことをいつかそんなふうに思ってくれるかな」
自分だったらどうだろう、と思うより先に、彼女と別れなければならない日が来るのかもしれない、という今まで想像もしなかった不確かな、けれども今は見えない先のどこかで僕を待ち受けている未来が、急に目の前に現れてきたような気がして、僕は一瞬なんと答えればいいのかわからなかった。そんな未来が訪れることはないよ、と言いたかったが、なぜか口に出すのが怖かった。
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2回目の桜坂も、3月下旬の雨の日曜日だった。
今回も雨の日を狙って行ったのだ。
あの頃から20年以上たっても、相変わらずこの時期の桜坂には多くの人がいそうだったので、ホンモノじゃない田園調布の元住人の予想を信じた。いや、「元」かどうかはわからない。彼女がまだあの多摩川を望むアパートメントに住んでいる可能性だってないわけではない。
あのとき僕の頭をよぎった不確かな未来は、やはりそう遠くない時期にやってきた。
最後に多摩川べりを散策しながら、彼女は僕のことを今でも恋しい人だと言った。僕も彼女のことが好きで好きでたまらなかった。なのにどうして僕たちは別れなければならないのだろう、という思いはしばらくの間、ずっと残っていた。
君よずっと幸せに、なんて唄えるだろうか。
彼女のことを思い出すたびに僕はそう自問した。答えのないままそれは今も続いていた。
雨の桜坂を歩いていると、あの時と同じように、隣で彼女がそっと寄り添っているような気がした。そしてきっと彼女はこういうだろう。
「あなたのことは今でも好きだから、どこかで幸せに暮らしていてほしいな」
もしも彼女が今でもあのホンモノじゃない田園調布のアパートメントに住んでいるとしたら。
桜坂に来てみよう、と思ったとき、僕は少しだけそんなことを考えていた。
それが彼女にとって幸せなのか、そうではないのかはわからない。でもこうして桜坂を歩いてみたら、もう彼女がそこに住んでいようといまいとどっちでもいいと思った。
君よずっと幸せに、と歌えるのは、男としての余裕でも経過した時間のせいでもないのだ。
そう、それはいつまでも、お互いの愛が、愛のままであるからなのだ、と。
君よずっと幸せに
風にそっと歌うよ
愛は今も愛のままで
<福山雅治 桜坂>
<了>
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