新潟県の燕市といえば、奇跡のボロ宿ドライブイン「公楽園」や珠玉のレトロ喫茶「ロンドン」など、僕にとってはB級の誉れ高いおなじみの町。
しかしここでまだひとつ行けてなかった場所が国上寺(こくじょうじ)と呼ばれる古刹。
このお寺にまつわる5人の偉人がその本堂に「イケメン官能絵巻」として描かれたことはニュースで知っていたのですが、当然のごとく賛否両論が巻き起こり、いずれ撤去されるのでは、的なうわさも聞いていたので、その後どうなったか気になっていたのでした。
良寛さんのまち、分水
国上寺があるのは、燕市の分水で、合併前は旧分水町だった地域。
「分水」という名前はこの地に大河津分水という信濃川からの分水路が拓かれたことに由来し、町の中心部には小さいながらも商店街が残っています。
今回はタクシーに乗るために、町中をブラブラと散策したのですが、かなりいい味出してますね。
この木造のアーケードは「雁木づくり」と言われ、新潟県の高田や長岡など、雪深い町の中心部に見られるものですが、この分水にも残っていました。
分水は、良寛が晩年を過ごしたことにより「良寛さんのまち」とも言われますが、まさにこれから向かう国上寺がその由来の場所なのです。
5偉人にゆかりのある越後最古のお寺、国上寺
弥彦神社から神託され、709年に開山された国上寺は、標高313メートルの国上山(くがみやま)にある越後最古のお寺。
良寛が、ここの五合庵で晩年を過ごしたことでも知られていますが、このお寺、そのほかにもいろんな偉人にゆかりがあるのです。
越後の戦国大名「上杉謙信」、国上寺の稚児時代、絶世の美少年だったという伝説の残る「酒吞童子」、頼朝に追われ、ここに身を潜めていたと言われる源義経と武蔵坊弁慶・・・
実はそんな偉人たちが、イケメンに姿を変えて現代の国上寺によみがえったことで大変なことになってしまったのです。
この写真でもわかりますか?
彼らが「イケメン官能絵巻」としてこの歴史ある古刹の本堂の壁画として描かれているのが。
そう、これが賛否両論を巻き起こしている国上寺の「イケメン官能絵巻」です。
なぜ「イケメン偉人空想絵巻」が?
この「イケメン官能絵巻」ですが、もとはこのお寺の住職の、こんな妄想から始まったのだと言います。
もし、国上寺に縁のある5人の偉人が同時代に生きていたら、何を語り合い、どんな日々を過ごしただろうか?
そんなわけでイケメンをモチーフとした屏風絵や掛軸などの絵画作品を手掛けるアーチスト、木村了子さんに依頼して、その世界感を表現したのがこの「イケメン偉人空想絵巻」なのです。
例えばこれが東面の「龍乗遊戯之絵巻」。
これはまだ子どもの酒呑童子が大はしゃぎしているのを弁慶が落ちないように支えているんだそうです。
弁慶の右手の位置にちょっとドキドキしちゃうけど・・・
そして龍の上でも謎に泰然自若の良寛とねこ。
良寛さんムダに上半身はだけてるの気になるけど、ねこかわいい
そして最も象徴的な壁画が北面の「露天風呂湯浴之絵巻」。
これは秘密の温泉があって、5人が一緒に浸かっていたのではないか、という空想から描かれたものだそうです。
もしかしたら歴史の長いお寺には現代的かつ過激すぎると思われる方もいらっしゃるかもしれません。あるいは挑戦的すぎると批判される方もいらっしゃるかもしれません。
基本全裸だけどみんな巧みに隠してるし、ちょっとBL感もあるけど、私はぜんぜん大丈夫かな
しかし、日本のお寺は、今のままでは衰退の一途をたどると思われます。古刹である当寺から新しいことに挑戦し、変わっていかないといけない、そう思ったのです。
もともとこの国上寺は、若者の寺離れに危機感を感じ、お寺に目を向ける機会を作るために「SNS炎上供養サイト」なども立ち上げている先進的なお寺で、この企画もその一環なのでしょう。
ただやっぱりこういうのは賛否両論で、子供の教育上よろしくない、とか、文化財変更の手続き手順が誤っていたなどの批判も多く、こうして公開を続けられる時期はそう長くないのではないか、というような話も聞いていたのです。
ということで、今回僕を案内してくれた現地のボランティアガイドの方(上の写真の緑の人)に聞いてみると
いやー私はね、良いと思うんですよ。お寺だっていろいろあってね。
だってほら、お客さんだってそのためにわざわざ東京から来てくれたわけでしょ?イケメン好きってことで!
いや、特にイケメン好きなわけではないです
結論からすると、いつまで続けられるかはわからないようですが、イケメン官能絵巻、まだ健在でした。
ちなみに、イケメン御朱印ももらえるということだったので、念のため1枚ゲットしてきました。
やっぱりイケメン好き!
いや、特にイケメン好きではないです・・・
<2023年4月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
国上寺への旅
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