日本の寂れた町並みや風景、湯宿の描写をさせたら右に出る人はない、といわれ今なお一部のマニアから絶大な人気を得ている漫画家、つげ義春。
彼の名著「貧困旅行記」のなかにある「猫町紀行」という作品で、幻のような集落として描かれていたのが山梨県にある旧甲州街道の犬目宿。
はたしてそこは本当に夢のような、幻のような町だったのでしょうか?
「猫町紀行(貧困旅行記)」とは?
「貧困旅行記」は、漫画家つげ義春の「旅」を中心とした随筆集。
一般人が行かないような寒村や湯治場など、時代から取り残されたような場所をふらりと訪れ、自身の貧困や精神的な疲弊、体調不良と闘いながら旅する作品からは哀切と郷愁がにじみ出ていて、熱狂的なファンも多い名著です。
「猫町紀行」はその中の1作品で、つげ義春がかつて友達の車で旧甲州街道を辿っているうちに道に迷ってしまい、その途中、道を横切る一瞬の間に見た、街道沿いの幻想的な宿場町の風景を描いた作品。
もともと「猫町」とは、萩原朔太郎の散文詩風な短編小説。
朔太郎が滞留していた北陸地方のある温泉地近くの見慣れた町。
普段は軽便鉄道で行っていたのに、ある日ふと歩いて行ってみたら、途中で道に迷ってしまい、突然今まで見たこともないような美しい町に出てしまう。
ところがそこは実は人間ではなく猫が住んでいる町で、その恐ろしさに身の毛もよだつ思いをしたが、ふと気が付くともとの平凡な町に戻っていた、というお話。
つげは、その街道沿いの幻のような宿場町の風景を、まるで朔太郎の書いた猫町のようだ、と思い「猫町紀行」というタイトㇽにしたのだそうです(犬目→猫町と連想したとも)。
実は、今なおそれが犬目宿だったかどうか、本人にもわからないようなのですが、この謎を解くために犬目に向かうファンは多いようです。
日本のマチュピチュから君恋温泉へ?
犬目宿があるのは山梨県上野原市。
別の記事で紹介した日本のなんちゃってマチュピチュ「コモアしおつ」が同じ上野原にあるため、コモアしおつに行った後、僕はそのまま歩いて向かったのです。
犬目は「コモアしおつ」から約5キロ、距離だけ考えれば、歩いても1時間くらいです。
けれども地形的に見ると、ほぼ全区間が上り坂のように思われます。暑さも考慮すると、平地の2~3倍の疲労度はありそうです。
まず、空中都市のコモアしおつから下界に降りるため、猛烈に急な階段を降ります。
クルマだと、こんな感じの急こう配を、ずっとずっと下ります。
犬目に向かう県道と合流して、しばらく進むと大野ダム脇の分岐路に出ます。
ここをまっすぐに進むと旧甲州街道野田尻宿を経て犬目へ、左に曲がると直接犬目へと抜けられます。
ダムに沿って比較的平坦な道をしばらく進み、やがてまた上りとなり、旧犬目小学校(現在は廃校)を過ぎると、犬目入口というバス停があり、こんな看板を発見しました。
魅かれますねえ、この名前。
しかも「日本一富士も見える」と書いてあります。
今回は行かなかったのですが、戻ってから調べると、ここは犬目宿からさらに奥まったところにあり、民家のような小さな温泉で、登山客が帰りに日帰り温泉として利用することが多いそうです。内湯だけで露天風呂はなく、富士山は見えるけど、湯船の中から見えるわけではないそうです。
色白の女性が、誰も知らない山奥の野天風呂にひとり浸かっていて、ちょっとのぼせそうになってしまい、浴槽の淵に腰かけると、その火照った後ろ姿の遠く向こうに日本一の富士がそびえている、というような絵をイメージしていましたが、どうやらそういうのはなさそうです。
また「君恋」という名前は、東征を終えた日本武尊が、自ら海中に身を投じた弟橘姫を偲びながらこの地の峠を越えたことから名付けられた「君越(ごう)」と、日本武尊が姫の霊を祀るために建てた供養の塚「恋塚」とが合体して「君恋」という地名になったのではないか、とのことです。
(しかし、残念ながら君恋温泉はその後閉館してしまいました)
猫町、犬目宿へ
犬目入口から分岐するさらに細い急勾配の道を上ります。
すると、なんとこんな場所に出ます。
中央道の談合坂SAから少し甲府側あたりの場所を陸橋で越えるのです。
上のほうから登山帰りの夫婦が降りてきます。
バックに付けられたクマよけの鈴がちりんちりんと鳴り響いています。
熊はさすがにいないだろーと思いますが、道はさらに細く、坂はさらにキツくなってくると、なくはないかも、という気にもなります。
やがて道はゴルフ場のコースとコースの間を通りさらに上りますが、このゴルフ場、なんか聞いたことあるような名前なので、昔来たことがあるかもしれません。
坂を上り切ったところで野田尻宿の方から来た旧甲州街道と合流し、ようやく犬目宿に入ります。
これが犬目宿のメインストリートです。
つげ義春が犬目宿(かもしれない町並み)を見たのは、1969年のことのようです。
ちょうど陽が沈みかける頃、薄紫色に染まる夕食前のひと時、浴衣の女の子が縄跳びに興じ、腕白の男の子は大人用の自転車を円を描いて得意げに乗りまわし、縁台にはくつろぐ老人。
都会ではもう忘れられかけている、秘密の桃源郷のような風景がここにあったのだといいます。
犬目宿は昭和50年代に大火があったため、その時と今の犬目宿の姿はずいぶん違うものになってしまったようですし、実はつげ義春が見たのは、犬目宿でなく、野田尻宿だったのではないか、という説もあります。
それでも、ここに確かにそういう時代があったのだ、といわれれば、そうかもしれないね、という雰囲気はある場所でした。
帰りは犬目宿から南に少し下ったところにある太田上という停留所から、上野原まで出るバスに乗りました。
バス停付近の看板によると、やっぱり熊は出てもおかしくないようでした。
<2013年6月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
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