日向往還(ひゅうがおうかん)は、肥後(熊本県)と日向(宮崎県)を結ぶ、旧道。
その国境近くの宿場町「馬見原」は往時の雰囲気を色濃く残していると言われていて、前から行ってみたい場所でした。
またこのあたりは種田山頭火の有名な一句、
分け入っても分け入っても青い山
が詠まれた場所とされ、山頭火の道と言われています。
いいじゃないか日向往還、俺も山頭火ばりに一句詠んでみたいぞ!
シャレタ町、馬見原へ
馬見原は熊本から路線バスで約2時間。
かつてここは馬見原町でしたが、合併により蘇陽町と名前を変え、さらに現在は通潤橋で有名な山都町の一部となっています。
いまどき2時間も走る長距離路線バスも珍しいのですが、この先には日向との国境の峠があるため、さすがにこの馬見原が終点となっています。
日向往還旧宿場町という表示があるこの通りが馬見原商店街と言われるところで町の中心地です。
九州山地最深部にありながら、かつては酒造業を中心とした商業の町として栄えていたようで、中学時代に修学旅行でこの地を訪れた歌人・若山牧水は「馬見原ハシャレタ町ナリ」と日記に書いていたそうです。
その商店街がこれ。
おおお、たしかになかなかいい雰囲気。
ただ、通りに誰も歩いていなくて商店街とは思えないほど寂しいのですが。
これは馬見原のシンボル、新八代屋というかつて醤油醸造を営んでいた店。
この建物の上には、5階部分に望楼(遠くを見渡すためのやぐら)があったのだそうですが、今は撤去されてしまったようです。
やがて旧日向往還沿いにカッコいい小学校を発見しました。
この学校は、明治8年創立の旧馬見原小学校の流れを組む蘇陽南小学校。
歴史もすごいですが、この校舎いいですよね。
たぶん熊本大学教育学部を卒業したてで、白いブラウスが似合う新任の女先生がいるはずです。
ということで僕の美しい「小学校リスト」に入れておこうと思います。
日向往還の国境越えへ
馬見原の町を散策し、いよいよ日向往還の肥後日向国境越えに向かいます。
熊本の馬見原と宮崎の五ヶ瀬を結ぶ肥後日向国境は、今は国道218号であっさりと越えられますが、旧日向往還ルートは馬見原の町を抜け、国道の脇から山頭火の句のごとく、山道を分け入って分け入って進むことになります。
なるほど、なかなかいい雰囲気ですな。
ところが旧日向往還ウォーキングイベント用マップを見ながら進んだつもりなのですが、なんだか様子が変なのです。
途中まで旧日向往還というような小さな道標の通りに進んだような気がしたのですが、マップに書いてある沿道の目印が一向に出てこないのです。まあイラストのイメージマップだったので、距離感とか方向感はかなりテキトーな地図だったことは確かですが。
途中の分かれ道に出ても何も案内がないし、日向往還、途中から急に不親切になったようで道標も見当たりません。
ヤバいよヤバいよ、こんなところで一人野垂れ死んだら、一句どころじゃないぞ!
おかしい、とは思うのですが、この酷暑の中登ってきて、せっかく獲得した標高を、引き返して失うのもつらいと思いつつ生死の境をさまよっていると、知らぬ間に国境を越えてしまったようでした。
マップに出ている見どころが何も出てこないまま峠越えちゃったってことは、これ、やっぱり日向往還じゃないよね。
だめじゃん、日向往還。
気づいたら、全然一句つくらないまま、峠越えちゃったじゃん。
それでも峠からの眺めはこんな感じで(道は違えども?)「分け入っても分け入っても青い山」感は満載だったのは確かでした。
ちなみに、この峠の場所がココ。
スマホでGoogleMap調べりゃよかったじゃん、とかいうみなさん、電波あると思いますか?この分け入っても分け入っても状態で。
峠の下りも、僕が今までの人生で獲得した知識とか勘とか修羅場の回避術とか、酸いも甘いもすべての経験とかを総動員した結果、なんとか宮崎の五ケ瀬町の中心部にたどり着くことができました。
戻ってから結局正解の道はどこだったのかを調べてみたのですが、やはりこの日向往還で迷う人は結構いるらしいので、全国の往還ファンのみなさま、ならびに山頭火ファンの皆さまはぜひ心してチャレンジしてみてください。
そんなわけで、僕の日向往還山頭火ウォークの一句。
迷っても 迷っても 蝉時雨
ついでにもう一句、
倒れてもひとり
・・・季語ないじゃん。
<2015年8月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
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