高崎の中央銀座商店街にあった映画館「高崎オリオン座」。
僕が高崎で高校時代を過ごしていた頃はまだその全盛期で、そのスクリーンからたくさんの人生の糧を学んだ記憶があるのですが、2003年に閉館したあとは永らく廃墟になっていたようです。
同時に華やかだった中央銀座もすっかりシャッター商店街と化し、一部があやしげな夜の町となり、その中心にオリオン座の廃墟がある様子は、まるでどこかのスラムのようだと言われることもありました。
そんな高崎オリオン座がカフェとなってオープンした、という話を聞いたので、久しぶりに高崎の街を歩いてみたら、僕の青春時代が詰まった喫茶店やレストラン、デパートなんかも残っていて、いろいろ懐かしかったお話です。
まわ~る「高崎スカイビル」と群馬県民憧れの「スズラン」
高崎駅から100メートルほど北、高島屋の横から高崎城大手門方面に延びる「慈光通り」は、かつて群馬で最も賑やかな通りと言われたところ。
いや、今も群馬では最も賑やかな通りなのかもしれませんが、当時の人通りにくらべると寂しいのなんの南野陽子!
この高崎スカイビルも昔は屋上のスカイレストランが回転してました。
僕の高校時代はこの円形の建物がゆっくりと回転していて、窓際の席に座れば(窓際しかなかったと思います)、知らない間に360度、高崎の景色を楽しめる、という代物だったのです。
かつてはホテルニューオータニのスカイレストランもそうでしたが、今は回転を休止してしまい、現在ではこうした回るレストランはかなり希少のようです。
今日はキミにこの360度の景色、ぜーんぶプレゼントするよ!
とか言えればよかったのですが、当時は高校生だったので経済的にそんなこと言えなかったと思います(その反動で大人になってからのニューオータニでは・・・)。
その向かいにあるのが群馬を代表する百貨店「スズラン」。
僕の実家は高崎の隣町だったので、小さい頃、家族でわざわざスズランまで来るのはハレの日。いつもウキウキ気分でやってきてレストランで食事してたんでしょうね。
高校時代は…スズラン、あんまり来てなかったかな。高校生が来るお店じゃなかったですね。
正面から見ると小ぶりな百貨店に見えますが、(地方によくありがちで)増床を繰り返しながら周りの建物を飲み込み、横から見るとこんな巨大な姿です。
全国チェーンの大手流通資本に押され、かつて群馬にあった地場の百貨店はほぼ撤退してしまったので、スズランには頑張ってほしいですね。
恋がうまれるレトロ喫茶「コンパル」
高崎中央銀座手前のプロムナードにある喫茶店「コンパル」。
ここは僕の友達の一族が経営していた喫茶店ですが、今や高崎の超名店という賞賛をあびる純喫茶として絶賛営業中です。
見てくださいよ、このレトロな食品サンプル!!
でも今日お話したいのは、ここが友達の家だとか、純喫茶だとかの話ではなく、実はこのお店、僕が高校時代初めてナンパされたお店だった、ということなのです。
僕の高校は男子校だったので、隣の女子高と「交流会」という名の出会い系イベントを、とある土曜日の午後にここでやってたわけですよ。
するとその夜、突然知らない女子から電話がかかってきたのです。
あのー、今日コンパルでお見かけしたんですけど、よかったら今度会ってもらえませんか?
えええええ、キミはだれ?
実は彼女、コンパルでバイトしていた女の子で、僕たちが交流会をしていた相手の女子のクラスメイトだったのです。
きっと、天使のような高校時代の僕に目が眩んで、友達から僕の電話番号が書いてあるメモを奪い取ったに違いありません。
そんなわけで、私たち、お付き合いすることになりました、うふっ💛
以上、モテ自慢ではなく、事実のみお伝えしました。
高崎中央銀座と「高崎電気館」
かつては群馬一のアーケード街だった「高崎中央銀座」。
地方の銀天街はどこも似たようなものだ、と言ってしまえばその通りですが、やっぱり慣れ親しんだ街がこんなになっちゃうのは寂しいものです。
一周回ってこの喫茶「白馬車」とか現役だったらすごいな。
と思ったらバリバリ現役みたいでした!(今度行ってみたい)
ここは僕が高校時代教科書を買ってた本屋さん「天華堂書店」。
よくもまあ頑張って残ってたな、という感じですが、今も教科書販売があるからやっていけるのかもしれませんね。
この中央銀座から分かれる横道の一つに「電気館通り」があります。
そしてその先にあるのが「高崎電気館」。
「高崎電気館」は1913年に開館した高崎最古の常設映画館。
僕の高校時代にはもちろん現役の映画館として営業していましたが、2001年に閉館、2014年に高崎市地域活性化センターという形態で再開館したのです。
今は定期上映はされていませんが、企画イベントとしていろいろな作品が上映されています。
ポスターにある「ここに泉あり」は 高崎の市民オーケストラが、終戦直後にまだ珍しかった地方の本格交響楽団「群馬交響楽団」へと成長する草創期の実話を舞台としたヒューマンドラマで、群馬県民のバイブル映画です(…いいすぎ)。
ロードショー映画館としての役割は終えたけど、今もこの建物がこのまま残ってること自体がすごいこと。よく解体せずに残ってくれました!って感じですね。
この電気館のあたりはかつて「北関東の吉原(ホントに?)」と言われた高崎柳川町の花街地域。
今でも少しだけそんな雰囲気を残しているような気もします。僕は昔からここに足を踏み入れる必要性をまったく感じませんでしたが!
復活!高崎オリオン座
そして今回の高崎訪問のメインだった「高崎オリオン座」。
僕が今回オリオン座を訪ねるきっかけとなったのが、あさみんさんのこのTwitter。
高崎で誰もが足を止める廃墟、映画館オリオン座がつい先月カフェギャラリーとして復活したってマジ?? pic.twitter.com/VhqzoicVNy
— あさみん@商店街の本2022年発売 (@papicocafe) November 16, 2021
僕の青春のスクリーンでもあったオリオン座。行かないわけにはいかないでしょ?
オリオン座が誕生したのは1926年。2003年に廃館しいったんは解体されることになったのですが、そのまま工事が止まり、今、新たなカフェとして生まれ変わったのです。
カフェの名前はスバリ「高崎オリオン座」。
不動産会社の経営者で、高崎のこの近くの出身だという店のオーナーが、荒れ果てたオリオン座と中央銀座の荒廃した姿を憂いて立ち上がったのがこのお店ができたきっかけだと言います。
明るく開放的な作りの店内は、クリスマスの装飾に華やいでいました。
かつて映画館だったこの空間は天井も高く、音の響きもいいため、簡単なライブも開けるような作りになっています。
けれども店内には無理やり引きはがされ、無残にも切り取られた壁の痛々しいあとも同時に残っていて、それが独特のアクセントとなっています。
ランチで頼んだ「海南鶏飯」。
奥の席にお客さんが1人いましたが、あとは広い店内に僕だけ。まだオープンして日が浅かったので、あまり知られていなかったのかもしれません。
店内の写真を撮っていいかオーナーに聞くと、お客さんが帰ったので奥のほうも自由に撮っていいよ、とのこと。
めちゃめちゃカッコいい!
オーナー曰く、トイレも独特なつくりらしいので奥に行ってみます。
天井、高っ!
僕はこのオリオン座が廃墟だった頃は中に入ったことはないのですが、その時代を知っている人にとっては、そんなの記憶を残しつつ、新たに生まれ変わっているのだと言います。
ガラスの向こうに、まだ工事中のまま手つかずで残っている空間が見渡せる座席もありました。
オリオン座の都市伝説に、地下に川が流れているため解体ができず、ずっと廃墟として放置されていた、というものがあるのですが、それは全くの作り話だそうです。
その事実を証明するため、ということではないでしょうが、こんな暗い工事中の空間にもクリスマスツリーが光っていました。
ここまでアツく語っておいてなんですが、正直なところ、僕はここでなんの映画を見たかは忘れてしまいました(高崎には当時5館くらい映画館があったのです)。
でも高校生の僕が、ここのスクリーンの向こう側から「あんなこと」や「こんなこと」をたくさん教えてもらったのは間違いありません。
高崎電気館でも言ったけど、こんな素晴らしい建物がまだ残っていて、新たな道を踏み出してるってわりと奇跡だよ、高崎!
<2021年11月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
高崎オリオン座への旅
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