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知覧特攻平和会館にはそれまでも2回ほど来たことがあったのですが、ここはぜひ子どもにも見せたかった場所でした。
僕が最初にここに来た時、かなり衝撃を受けた記憶があります。
特攻隊、という言葉も内容も知っていたつもりでしたが、彼らがどんな環境のどういう人間で、どんな思いで、どんな顔をして飛び立っていったのか、ということは何一つ知らなかったからです。
今回は、夏休みの家族旅行でこの知覧特攻平和会館と、同じく知覧にあり、特攻青年の物語が残る「ホタルの食堂」に行ったときのお話です。
真夏の知覧は特に哀しい
知覧特攻平和会館は、太平洋戦争末期の沖縄戦で「特攻」という人類史上類のない作戦で、爆弾を抱えた飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした、陸軍の若き特攻隊員の遺品や関係資料が残るミュージアム。
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この平和会館に展示されているのは、特攻を志願して集まってきた隊員たちが、いざ命令を受けて飛び立つまで過ごした数週間の日常写真と、彼らの遺していった手紙くらいしかありません。
けれども一度でも行ったことがある方はご存知だと思いますが、ここの展示物を平常心で見るのは相当つらいと思います。
(隠している人も含め)すすり泣き率80%、それくらい見る人の心に訴えかける何かがあるのです。
平和記念会館前の広場にある特攻勇士の像。隣には寄贈された自衛隊の訓練機が飾られています。
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これも同じ敷地内にある特攻観音。若くして命を失った隊員たちの鎮魂と、平和への願いを込めて建てられたものです。
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知覧に夏に来たのは初めてですが、夏という季節は、終戦間際に彼らが敵地に向けて飛び立っていった季節を彷彿させて他の季節より余計辛いですね。
館内にある若き隊員の格調高き遺品
館内に入ると正面にあるのが中央展示室(写真撮影禁止なので借りています)。
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陸軍一式戦闘機「隼」を中心に、特攻作戦で亡くなった1036人の隊員の遺影が、出撃戦死した順に並んでいます。
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館内には隊員たちが家族や知人に残した遺書や手紙などが展示してあるのですが、その文章といい筆致といい、これが本当に素晴らしいだけに余計辛いですね。
特攻隊員として志願した者は、すごく優秀な若者たちだった、ということです。
屋外には復元された三角兵舎の跡があって、隊員たちが出撃するまで過ごした部屋が再現されています。
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雑魚寝に近いこの兵舎の中で、みんなの前では笑顔で過ごしつつも、最後の夜はみんな毛布で涙を隠しながら、愛する人に最後の手紙を書いていたのだそうです。
ううう、そんなシーン、想像させんなよ。
と、こんな話を書いた後で、この写真もどうかと思いますが、特攻平和会館前の土産店近くにあった知覧茶のオブジェが珍しかったので撮ってみました。。。
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そしてこれが肝心の娘(当時中1)。
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何か感じてくれたかな、くれたらいいな。
知覧の武家屋敷通りへ
いったん知覧の市街地までバスで戻り、武家屋敷通りをブラブラと散策します。
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薩摩藩の外城だった知覧には「薩摩の小京都」と言われるほどの美しい町並みが残っています。
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町の背後にある母ヶ岳の優雅な姿を背景に、麓一体を庭園化するかのように美しく造形された武家屋敷群の中には国の名勝に指定されている7つの庭園があります。
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庭園の共通入場券があって500円で7つすべての庭園をみることができるのですが、今回は庭園よりも、僕も今まで行ったことがなく、一度行きたかった場所が知覧の町なかにあったのでそちらに向かいます。
「特攻の母」がいた富屋食堂跡
かつて特攻の母として慕われた「鳥浜トメ」さんがやっていた軍の指定食堂、富屋食堂跡。
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知覧で出撃を待つ特攻隊員を、まるで自分の子供のように世話をやいていた女主人のトメさんは、若い隊員たちに母親のように慕われていたそうです。
ここにはそんな鳥浜トメさんと特攻隊員とのふれあいの遺品・写真に当時のエピソードが添えられて飾られています。
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「明日ホタルになって帰って来るよ」と言い残して出撃した特攻隊員が、翌日ホタルになって帰ってくる話はあまりにも有名で、映画や本にもなっています。
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宮川は「明日ホタルになって帰って来るよ」と言い残し出撃した。
その夜富屋食堂にいたトメと娘たち、出撃前の隊員たちは一匹のホタルを見て「同期の桜」を歌い、涙を流した。
ここは、もう、たまらんです。
特攻平和会館に飾ってある写真や手紙は、特攻隊員たちの、淡々と死を受け入れるかのような表の顔(それでも泣けてくるのですが)、でも、ここにあるのは彼ら生身の特攻隊員の本当の心であり喜怒哀楽であり、生き様そのものの物語なのです。
ホタルの話、アリランの話、日本は負けると言った隊員の話、狭い食堂跡にいくつも掲示してある特攻隊員たちの本当の物語は、とてもじゃないけど、ここでは伝えきれません。
機会があったら、ぜひ一度行ってみて下さい。
<2015年8月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
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