伊豆大島、奄美大島、気仙沼大島・・・
大島という名前の島は日本中にたくさんありますが、この瀬戸内の高松沖にある大島のことを知る人はそう多くはないのではないかと思います(同じ瀬戸内にも周防大島やしまなみ海道の大島がありますが、それらの大島とはまた別の大島です)。
なぜならばこの大島は、国立ハンセン病療養所のある島として、近年まで一般の人が近づくことのない島だったからです。
僕も瀬戸内国際芸術祭(セトゲー)を通じてその事実を初めて知りましたが、ここで何があったのか、ぜひみなさんにも知ってほしいと思います。
曰く「大島のない瀬戸芸はない」
ハンセン病は平成8年にらい予防法が廃止されるまで90年近くの間、感染や遺伝による不治の病と誤解され、その患者だけでなく親族も激しい差別・偏見の対象にされたため、罹患者の多くは家族と遠く離れて、生涯隔離生活を余儀なくされていたのでした。
この大島はそうしたハンセン病罹患者が長い間隔離されて過ごしてきた悲しい記憶を持つ島なのです。
その後、この瀬戸内の島々で芸術祭を行う、というプロジェクトが立ち上がった時、総合ディレクターの北川フラムさんがぜひこの大島でも開催したい(曰く「大島のない瀬戸芸はない」)、と熱望したことにより、こうして多くの一般の人々が大島を訪れ、過去の誤った歴史を知るようになったのです。
前回2013年のセトゲーでは僕たちはこの大島に行かなかったのですが、同時期にセトゲーに行っていた知人の女の子から、
なんで大島に行かなかったの!?あーもうわかってないんだから!
くらいの勢いで残念がられてしまったので、今回はぜひとも行ってみたいと思っていたのでした。
大島は高松沖の東方約8㎞の浮かぶ周囲7キロの小さな島。
この島には一般の船舶航路はなく、通常は高松港からの官用船が運航しているのみ。
この瀬戸内国際芸術祭期間中は、鑑賞者用に1日3往復の定期便が運航されますが、すべて先着の定員制。
当日整理券を手に入れないとこの島へは渡れないのです。
そんなわけで2日目の朝は、早めに高松港へ。
瀬戸内国際芸術祭のインフォメーションセンターで整理券をもらうために並んでいるあいだ、大島を訪れるにあたっての注意事項が説明されるのですが、このシニアスタッフの方、めちゃくちゃカッコよかったのです。
日本語でひと通り説明が終わると、列の中に外国人がいることを発見し、まったく同じ内容を英語で話しはじめたのです。
ネイティブというほどの流暢さはありません。けれどもそれは堂々として、とてもわかりやすい英語でした。
かつて企業人だったのか、教育者だったのかはわかりませんが、おそらくすでに現役の第一線をリタイアし、こうしてすすんでセトゲーのボランティアスタッフをやっているのでしょう。
こういうのもカッコいい生き方だな、と思いました。
大島に渡る船の整理券は1便あたり24名、と聞いていたので3連休の中日に果たして全員乗れるのか?と心配していましたが、土日祝日は定員が増えるようで、12名乗りの船と40名乗りくらいの船がそれぞれ一艘用意されていて、この便は希望者全員が乗船できたようでした。
大島ではこえび隊がボランティア
大島に到着すると全員に帰りの船の整理券が渡されます。
船は大島到着の1時間半後に高松に向けて出発するので、基本の大島滞在時間は1時間半ですが、事前に希望があれば次の便に変更し、島内にゆっくり滞在することもできます。ただし定員制なので一度決めたら必ずその船に乗らなければなりません。
来島者はいくつかのグループに分けられて、こえび隊と呼ばれるボランティアガイドの案内で島内をめぐることになります。
ガイドさんは通常島内の主な見どころを1時間程度で案内し、残りの30分を自由時間にすることが多いようです。
島内には入所者(現在ではハンセン病の治療は終わっているので患者ではなく、入所者と呼ぶのだそうです)の住居をはじめ療養のための病院のほか、公会堂・老人福祉会館・売店・理美容室・郵便局・公園・宗教施設などを備えていて、まるでひとつの村落であるかのようです。
最初に案内されるのが、島内の高台にある納骨堂と慰霊碑。
この納骨堂にはこの島で亡くなったものの、生まれ故郷に帰ることができなかった方の骨を安置しています。
来島者はまず、この納骨堂で手を合わせます。
納骨堂の隣、美しい瀬戸内の海をに背にした「鎮魂の碑」。
これは長年の隔離政策により、この世に生を受けることなく犠牲になった多数の胎児の命の供養と哀悼のための碑です。
また、今回は時間がなくて行けなかったのですが、さらに海を見下ろす高台へ行くと「風の舞」というモニュメントがあります。
これは亡くなった方を納骨しその残りの骨を納めたもの。天に向かって延びる円錐形に「せめて死後の魂は風に乗って島を離れ、自由に解き放たれますように」というメッセージが込められているのだそうです。
島内を歩いていると、他ではあまり見られない特徴的な設備があります。
たとえばそれは交差点を中心に、島内のいたるところで流れている童謡のオルゴール音楽。
そして細い歩道にもセンターラインのように引かれている白線。
これらは目の不自由な方でも安心して暮らしやすいような設備なのだといいます。
この島の中で、来島者がおそらく最も衝撃を受ける展示物はこの石の造形物。
これはかつてこの島で使われていた解剖台なのだと言います。
芸術祭をきっかけに、浜辺にうち捨てられていたこの解剖台を引き上げて、こうして展示がはじまったのだそうです。
かつてこの島で何を目的に解剖が行われたのか、まだ詳しくはわからないようですが、島の歴史を伝える象徴的なものとして見る人の心に刺さります。
大島のアート作品
大島でのアート作品は、島の北部、かつての入所者の住居跡に展開されていますが、ガイドさんによる案内はここまで。
ここから先は各自自由見学となります。
これは僕たち一家が好きなアーティスト田島征三さんの作品「青空水族館」
中に入ると、大粒の涙を流し続ける人魚が。
これは大島に流れ着いた漂流物で作られた「捨てられた海」という作品。
いろいろな国の言葉で「どうして私を捨てたの?」と話し続けています。
大島で「どうして私を捨てたの?」と話しつづけ、大粒の涙を流しているのは、きっと海に捨てられた漂流物の声だけではないのでしょう。
名古屋造形大学のやさしい美術プロジェクトによる作品、「つながりの家」
これはかつて入所者たちが釣りをするために、高松の漁師がつくってくれた船。下からも見上げて鑑賞できるようになっています。
アート作品のすぐ近くにあった、らい病予防法廃止を報じる当時の新聞。
入居者の生活やこうした歴史的な資料も数多く展示されています。
正直なところ、1時間半はあっという間です。
この短い時間で大島のすべてを理解できるわけではありません。
それでも大島で見たこと、聞いたことを何かの機会にほかの人にも伝えてほしい、とガイドさんは言います。
大島のことを「悲しいだけの島」と思うのではなく、この島の美しさも、現在の平和な暮らしも、この島が発する未来へのメッセージも含めて、きちんと伝えてほしいのです、と。
僕もその思いに少しでも応えたいと思っています。
<2016年10月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
大島への旅
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