僕が初めて五島列島に行ったのは、まだ五島が世界遺産に登録される前のことでした。
当時はやっていた位置ゲーで、どうしても五島列島に渡らざるを得ず(五島に限らず、おかげで日本全国の離島を巡りましたが)、半ば義務的な感じであまり大きな期待もせずに降り立ったのですが、そこは想像をはるかに超えて素晴らしい場所でした。
特に記憶に残っているのは、厳しくも美しい環境の中にひっそりと佇む教会群。
今回はその中の上五島と呼ばれる中通島の教会のひとつ、青砂ヶ浦天主堂を紹介します。
博多から中通島(上五島)へ
五島列島へは長崎や福岡からの航空便や、長崎港・佐世保港からの高速船やフェリーもあるのですが、僕が乗ったのは博多からの五島列島行き夜行フェリー「太古」。
「太古」は夜も明けぬうちから6つの港に順々に寄港し五島列島の中心、福江まで向かいます。
宇久平港(宇久島)、小値賀港(小値賀島)、青方港(中通島)、若松港(若松島)、奈留港(奈留島)、そして終点の福江港(福江島)。
僕はまず、中通島の青方港で船を降りて、上五島と呼ばれる地域の教会を巡ることにしました。
その前の小値賀島も、海外では「世界一のおもてなしの島」なんて言われることもあるくらい素晴らしいところだ、と聞いていたのですが、今回は全部を回るわけにいかず、泣く泣く船の上からまだ暗く、黒々とした島を見送ったのでした。
青方港には、午前6時前、少しずつ日の出が遅くなってきた9月半ばの朝が、ようやく明けた頃に到着しました。その約15分後、いくばくかの乗客と貨物を下した「太古」は、まだまだ続く五島諸島へ向かって再び出航していきます。
青方の町は、港から歩いて10分ちょっと離れたところにありました。
ここは合併前の上五島町の中心となっていたところで、意外に大きな集落でした。
現在は周辺5町が合併して、新上五島町となっていますが、その役場や総合病院、金融機関などもありました。
僕は、青方のバスターミナルは青方港に隣接しているものだと思い込んでいたのですが、港の周辺にはまったくそんな気配がなく、こうして町中まで歩いてきて、ようやくちゃんとしたバスターミナルを発見したのでした。あのまま青方港で待っていたら、数少ない路線バスに乗り遅れるところでした。
レンガ造りの代表的教会 青砂ヶ浦天主堂
青方のターミナルからバスに乗って島の北へと向かいます。
奈摩湾を見下ろす小高い場所に建つのが「青砂ヶ浦天主堂」。
1910年建立の教会堂は、日本人の手によるレンガ造り教会の代表的作品の一つとして国指定重要文化財に指定されています。
残念ながら世界遺産を構成する資産からは外れてしまいましたが「世界遺産の構成資産と一体的に保存・継承していく資産」として五島列島を代表する教会のひとつです。
またこの教会は、上五島の出身で、多くのカトリックの教会堂建築を手がけたことで有名な、鉄川与助氏の設計施工によるものです。
朝早いためか、残念ながらクローズしていて、中には入れなかったのですが、ここはステンドグラスが美しい教会でした。
赤いガラスの向こうを写せば、赤い世界。
緑のグラスの向こうでは、グリーンの世界が、静かに広がっていました。
青砂ヶ浦天主堂は、寅さんのロケ地としても登場
「男はつらいよ」の第35作「寅次郎恋愛塾」では五島列島・中通島がロケ地となり、この青砂ヶ浦天主堂が登場します。
港で倒れたおばあさんを助けた寅さんとテキヤ仲間のポンシュウは、そのまま家に泊めてもらうのですが、その夜、彼女が急死してしまうのです。
キリシタンだったおばあさんの葬儀が行われたのが、この青砂ヶ浦天主堂。
そこで東京から駆けつけてきたおばあさんの孫娘(マドンナ:樋口可南子)と出会い、ちゅらちゅちゅちゅ・・・という感じで物語は進みます。
(もちろん可南子がまだ白戸家の犬のお父さんと結婚する前で、娘の上戸彩も生まれていない頃のことです)
ラストシーンで再び寅さんが教会にやってくると、テキヤ仲間のポンシュウが教会に居候して神父さんを手伝っているシーンが出てきます。
五島列島は、第6作でも福江島がロケ地となっていましたが、教会は登場しないため、寅さんが五島列島の教会を訪れるのはこの作品が唯一となります(別作品で平戸の教会には行っています)。
青砂教会がある奈摩郷地区は穏やかな内湾の美しい海岸が続き、海に面した教会も多いところ。
天気が良ければ途中にある教会に立ち寄りながらブラブラ歩いても楽しいところです。
<2,012年9月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
青砂ヶ浦天主堂の基本情報
青砂ヶ浦天主堂への旅
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