北海道の中央部、美唄に「アルテピアッツァ美唄」というアートパークがあります。
美唄出身の彫刻家、安田侃さんの作品が並ぶその彫刻美術館は、北海道のゴールデンルートに組み込まれるようなメジャーな観光地ではありませんが、北海道の中でも僕の大好きな場所の一つです。
もし僕に初めてのデートに誘う女の子がいれば、10月のよく晴れた日曜日の午前9時に、ここに連れてくると思います。
よく見ると美しい名前の「びばい」
美しい唄、と書いて、びばい。
もちろんアイヌ語の当て字でしょうが、よく見るとすごくいい名前です。
アルテピアッツァ美唄は、美唄市出身の安田 侃(やすだ かん)さんという世界的な彫刻家の声掛けで、閉山になった炭鉱の学校跡地に作られた広大な野外彫刻公園です。
アルテピアッツァは美唄駅から約5キロのところにあり、駅からバスも出ているのですが、開園まで時間があったので、のんびり歩いて行くことにします。
東に向かって歩いて行くと、かつて炭鉱住宅だったと思われる集落が出てきます。
そう、美唄もかつては北海道有数の炭鉱都市として栄えていた町でした。
往時の人口、91000人、今の人口24000人。
それでも夕張や歌志内、三笠などの周辺都市に比べれば、平野部が多く、交通の便がいいだけまだ恵まれています。
アルテピアッツァは、この集落の子供たちが通っていた旧栄小学校(1981年廃校)の校庭や木造校舎が舞台となっています。
炭鉱住宅を越えて、少し上るとまもなくアルテピアッツァ美唄に到着します。
見てください、素晴らしい天気、そして素晴らしい紅葉を。
アルテピアッツァ美唄は広大な彫刻公園
イタリア語で「芸術広場」という意味のとおり「アルテピアッツァ」の広大な敷地には40点あまりの作品が配置されていますが、開園直後のためか、絶好の行楽日和なのにまだ誰も人がいません。
ところでみなさん、この彫刻はご存知ですか?
色は白ですが、札幌駅にもあるので北海道の方は見たことがあるでしょうが、これが安田侃さんの作品「妙夢」。
人が来る前に、たくさん写真を撮れるのでラッキーなのですが、こんな素晴らしい場所に人が来ないのはもったいない気もします。
空の青、山と芝生の緑、木々の赤や黄、そして白の彫刻、黒い影。
季節と時間、そして天気、すべての条件が完璧に揃ったからかもしれませんが、アルテピアッツァ美唄は、この世のものとは思えないくらい美しい場所でした。
もし今、僕に絶対にオトしたい女の子がいたら、雲一つない10月の日曜日の午前9時に、彼女をここに連れてくると思います。
敷地内の幼稚園と木造校舎
敷地内に小さな幼稚園がありました。
安田侃さんは、炭鉱が閉鎖された後も、この小さな幼稚園で無邪気に遊ぶ園児たちを見て、「この子どもたちが、心をひろげられる広場をつくろう」と思い、それがアルテピアッツァ美唄誕生のきっかけとなったそうです。
さりげなく、安田侃のアートがあるなんて、めっちゃ贅沢な幼稚園ですよね。
安田さんの願いどおり、子どもたちの歓声が今日も彼のアート作品を包んでいることがわかります。
そして、旧栄小学校の木造校舎。
数多くの子どもたちの記憶が残っている場所だからこそ、誰が行っても懐かしい記憶を呼び起こしてくれるのだと思うのです。
階段を上がって2階から校舎の中に入ると立派な廊下があります。
教室はアートスペースになっていて、このカットがアルテピアッツァの紹介の際、よく取り上げられています。
けれどもここは、アートそのものよりも校舎や庭園、周りの山々などの全体が醸し出す雰囲気を味わいにくるところなんだと思います。
谷川俊太郎さんの詩、ビバ美唄、アルテピアッツァ。
やっぱりここは色なんですよ。
さすが俊太郎!俺と考えること同じじゃん。
身長計のモノサシもそのまま残っていました。
初めてここに来た人でも、どこか懐かしさを感じるのは、ここで過ごした子どもたちの記憶がこうして至るところに刻み込まれているからなのでしょう。
校舎の中から見る、窓の外が、またきれいなんです。
窓枠の黒との対比がいいのでしょうか、不思議な感じですね。
このアルテピアッツァ美唄に入場料はありません。
そのかわり、施設の維持管理・運営は任意の寄付金などで賄われています。
体育館にもアート作品があります。
最盛期は1200人以上の子どもが通っていたこの小学校も、閉校時の在籍児童は62人だったそうです。
僕が初めて行ったのは秋で、そのあと2度目に行ったのも秋でしたが、ここは春夏秋冬、どの季節に来ても天国のように美しい場所なんじゃないかと思います。
<2014年10月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
アルテピアッツァ美唄の基本情報
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アルテピアッツァ美唄への旅
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