大分県の臼杵は「日本に恋する伝道師」として全国を渡り歩いた僕から見ても日本有数の情緒的な町だと思います。
その臼杵の町並みが、1年で最も美しく彩られるのが、毎年11月に行われる「竹宵(たけよひ)」の夜。
「竹ぼんぼり」の優しい光に包まれ、臼杵のめくるめく夜を初めて体験した時のお話です。
「竹宵」の発祥は、 般若姫の御霊伝説
うすき「竹宵」が行われるのは、例年臼杵の町並みが秋色に染まりはじめる11月最初の週末。
この行事は、臼杵の誇りである「臼杵石仏」を造った真名長者の娘で、絶世の美しさと気品を備えた般若姫の伝説から生まれたのだと言います。
般若姫のうわさを聞いた朝廷が、姫を妃として都へ差し出すように言いますが、一人娘のため長者はこれを拒み、代わりに姫の姿を書き写した「玉絵箱」を献上しました。
この「玉絵箱」を見て心奪われた、のちの用明天皇となる皇子が臼杵にやってきて、ふたりは結ばれるのですが、先に朝廷に戻った皇子を追って臼杵の港から出航した般若姫の船が、途中で嵐にあって帰らぬ人となってしまいます。
亡き娘の供養のため、般若姫の姿を描いた「玉絵箱」の里帰りを願い出て、都から「玉絵箱」とともに帰ってきた般若姫の御霊を、里人たちが竹に明かりを灯して出迎えた、という伝説を再現したものがこの「竹宵」なのです。
悲しい伝説!ひとりでそんな竹ぼんぼりの町並みを歩いたら淋しくなりそう!
ということで、僕も臼杵港で般若姫を出迎えます。
ちょっと!ひとを御霊扱いしないでくれる?
やってきたのは南予の人妻「タイ子」。
彼女は臼杵と豊後水道を挟んで対岸にある愛媛県の南予、宇和島に住んでいるバイク乗りのライター仲間で、本来は四国の港の女として絶賛活躍中なのですが、実は臼杵もフェリーで来れば近いのです。
そんなわけで八幡浜からフェリーでやってきた彼女を出迎え、臼杵の町なかへと向かいます。
大林カントクゆかりの古民家で民泊
実は臼杵には僕やタイ子のライター仲間、ケレシュさんがいるのですが、彼女がスゴい。
なんとあの映画監督の大林宣彦さんのゆかりの古民家を再生して民泊を経営しているのです。
かつてこの古民家は、大林監督自らがプロデュースした「クランク・イン」というカフェになっていて、全国の大林ファンが集う店だったのですが、その後しばらく空き家になっていたのです。
彼女は長いこと首都圏でビンテージショップや整体サロンをやっていたのですが、生まれ故郷の臼杵にUターンしてこの古民家を借り受けてリフォームし、民泊「USUKI TRAVEL GUIDE」と雑貨店、リフレクソロジーのお店「ケレシュ」を始めたのです。
僕は以前臼杵に行ったとき、今度泊まりに来ますよ、と約束していたので、ここに来ることも今回の目的のひとつでした。
1階には、彼女がセレクトしたさまざまな雑貨が並び、奥のほうには整体用のスペースもあります。
築85年の古民家を改修して民泊を始めるのは、相当大変だったということですが、ところどころに古きよき記憶が残されていて、こんなところに泊まれるのは貴重な体験だと思います。
この古民家、階段を登った2階の1室が民泊の客室になっているのですが、同じ屋根の下にケレシュさんの部屋もあるため「女性オンリー」又は「女性を含むグループ」のみ受け入れているのです。
たしかにそんなところにナイスミドルが一人で泊まりこんだら一晩中心が高鳴って抑えきれないに違いなかろう
ということで、今回は風祭ファンクラブの女子たちを誘って「女性を含むグループ」として泊まりに行く作戦にしたのです。
すでにタイ子は二つ返事でOKしていたので、九州に住むくまモン女子ふたりに声をかけてみたところ
えー、その日は私たち海外に行ってるので、タイ子さんとめくるめく夜を楽しんでください💛
と、あっさり断られました。
ちなみに、AIに「くまモン女子を作ってください」と言ったらこの画像が抽出されました。こんなにかわいいのか、くまモンが女子になると!
そんなわけでやむを得ずタイ子とふたりで「USUKI TRAVEL GUIDE」へ荷物を預けに行くと
えっ、ホントにおふたりで泊まるんですか?
部屋はひとつなので、布団ならべて寝ることになりますけど・・・
まあおじさんとおばさんだから何にもないわよ。
できれば布団を一番端と端にしといてもらえば大丈夫!
ということで、今回はタイ子と布団を並べ、ケレシュさんとも一つ屋根の下、というめくるめく民泊体験となりそうです。
まずは昼の臼杵を散策
まだ時間も早いので、タイ子と臼杵の町を散策に出かけます。
ケレシュさんの古民家の隣にある理髪店「ナカノ」。これも年季の入ったいい建物ですね。
ここは臼杵の中心部にあるレストラン「若木屋」。
ここはなんとケレシュさんの実家がやっている洋食屋さんなのです。
今回は、若木屋の食事も付いている、ということでさっそくお邪魔してみました。
ボリュームたっぷりの洋食ランチで評判、と言われている通りですね。
ケレシュさんの民泊の並びにある「久家の大蔵」。
ここは1868年に棟上げされた臼杵を代表する古い蔵ですが、すでに竹宵の準備も整ってますね。
臼杵を代表する名刹、多福寺に続く階段にも竹ぼんぼりがびっしりと並べられています。
そしてここが臼杵の町並みのメインストリート「二王座歴史の道」。
今は静かですが、竹ぼんぼりに火が入るころは多くの人が行き交う場所となります。
二王座歴史の道を登ったところにある旧真光寺お休み処。
普段は観光客の無料休憩所として開放されていますが、うすき「竹宵」の夜は、ここがメイン会場のひとつとなります。
ここに明かりが灯されると、どんな様子になるのでしょうか。
休憩所の2階から望む二王座の町並み。
これが僕の好きな臼杵の景観です。
うすき「竹宵」の夜
秋のせっかちな夕暮れが訪れ、あたりに闇が迫りくるころ、竹ぼんぼりに明かりが灯ります。
いつの間にか、臼杵の町は人であふれかえっています。
多福寺へと続く階段も夜になるとこんなふうに彩られます。
これはどこか忘れちゃったけど、まちなかの一画。
うすきの竹宵は、幻想的、という言葉で表現されることが多いと思いますが、実際にこうしてその中に身を置いてみると、もっと何か違う感情が起こってくるような気がしました。
これが昼間も見た元真光寺お休み処の夜の姿。
ここには例年、崇城大学建築学科内丸研究室のメンバーが制作した竹オブジェが展示されています。
竹ぼんぼりのやわらかな色とは対照的に極彩色で彩られているので竹宵とは異質の空間のように思えますが、御霊となった般若姫が過ごしている極楽浄土の世界なのかもしれませんね。
うすき「竹宵」の由来となった伝説の中では、臼杵に戻った般若姫の御霊を迎えた里人の竹ぼんぼりは、こんなに何千、何万とは続いていなかったことでしょう。
でもなんだかここには今でも悲しみに暮れながら、都からの勅使や玉絵箱を捧げ持った長者たちが暗い夜道を歩けるよう、黙って竹ぼんぼりを掲げる里人がいるかのように思えるのです。
イベント会場のひとつである「サーラ・デ・うすき」と呼ばれる広場に行くと、竹ぼんぼりでできた大きな💗マークができていました。
そう、臼杵と言えば、この「う💛」マークの駅名標で、ちょっと気になってる人にしれっとLINEとかで告白できちゃう恋の聖地でもあるのです。
そんなわけで、ここでも若いカップルたちがこの駅名標をバックに楽しそうに写真を撮っていました。
おじさんとおばさんだからこういうのはやらなくていいわよね
そんなことをタイ子と話しながら、竹宵の夜は静かに更けていったのでした。
え?めくるめく夜はどうなったかって?
風祭さん、昨夜はあっという間に寝落ちして、天使のように静かに眠ってたわよ。
まあ、おじさんとおばさんだからいいんだけどね。
<2019年11月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
うすき「竹宵」への旅
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