阪神・淡路大震災が起こったのは1995年、僕が社会人になってまだそれほど年月が経っていない頃でした。
その頃、僕は神戸に本社があるお客さんと大きな取引をしていたので、震災は神戸に悲惨な出来事をもたらしたイメージしかなかったのですが、淡路島こそ、その震源の真上にあり大きな揺れに見舞われた場所でもあったのです。
ワーケーションをするつもりで訪れた淡路島で(その存在はもちろん以前から知っていましたが)偶然「北淡震災記念公園」の文字を目にして、僕は引き寄せられるようにそこに入ったのでした。
1995年1月17日、午前5時46分 阪神・淡路大震災発生
その朝、東京で一人暮らしをしていた僕が、最初にそのニュースを聞いたのはテレビからだったか、それとも群馬の実家からかかってきた父親からの電話だったかは忘れてしましました。
当時、僕の弟は神戸大学に通っていて(今もそのまま神戸に住んでいますが)、なんでも彼から早朝実家に電話が入り、神戸ですごい地震があったけど、とりあえず自分は無事だ、といって電話が切れたのだそうです。
急いで会社に行くと、それはもうすごい騒ぎでした。
僕の会社は旅行業なので、今、神戸に滞在しているお客さんの安否確認、そしてこれから阪神方面に行く予定のお客様の対応が重なって、社内は殺伐としていました。
オフィスの片隅にあったテレビからは、僕も仕事で何度も通った、あの美しい神戸の街の、変わり果てた姿が次々とうつし出されていました。
取引先の社員が、神戸の本社に救援に行くためのチケットを、僕がその東京支店に届けに行くと、みんながテレビを呆然としたまま囲み、生田神社の崩れた拝殿や、道路ごと崩落した阪神高速の姿を見て、女子社員がそっと涙をぬぐっていたりしました。
僕はチケットのほかに水や非常用の食糧、カイロなどの防寒グッズを箱詰めにして簡易カートに乗せて渡し、彼らを送り出すことしかできませんでした。
北淡震災記念公園「野島断層保存館」
そんなこともあって、阪神・淡路大震災というと、どうしても神戸のことを思い出してしまうのですが、震源により近い淡路島の北部の揺れこそ、日本で初めての「震度7」という激震地だったのです。
その震災の記録と記憶を残すため、当時の北淡町(現在は淡路市の一部)にできた施設が「北淡震災記念公園」。
この地震は活断層である「野島断層」が動いたことにより起きたのですが、その断層があるのがこの場所で、公園内にある「野島断層保存館」という施設で見ることができるのです。
館内のエントランスホールには国道43号が倒壊した様子の再現模型、震災当時の写真パネル、活断層の地図がありました。
この施設のメインは「断層保存ゾーン」。
断層による様々な地形の変化をカメラやパネル、案内係の解説により、詳しく観察できるようになっています。
国指定天然記念物となっている野島断層がそのまま屋内保存され、破壊された道路や側溝がずれてぐにゃぐにゃになっている様子、地割れなどが生々しく展示されていました。
この地震の影響で野島断層は右に1.5メートルも動いたのだと言います。上の写真も、もともとは赤、青それぞれ印がある場所がつながっていたのでしょう。
断層は上下にも50センチずれが生じたということで、この境目にあった家とかどうなっちゃったんだろう、と想像するだけで恐ろしいですよね。
神戸の壁とメモリアルハウス
外に出るとあるのが「神戸の壁」。
これは昭和2年頃、神戸市長田区にあった公設市場の延焼防火壁として建てられたものですが、第二次世界大戦中の神戸大空襲に耐え残り、阪神・淡路大震災でも周囲の建物が倒壊全焼する中、この壁だけは倒れず、焼けず、その姿をとどめました。
そんなこともあって、震災の記憶を風化させないための震災遺構として、この北淡震災記念公園に移設し、震災から得た教訓と防災に対する意識を発信しています。
もうひとつ、屋外にあった展示が「メモリアルハウス」。
野島断層の真横でもほとんど壊れなかった家を「地震に耐え抜いた家」として公開しています。
家の塀や花壇の煉瓦がずれた様子や、当時の台所も再現していて、毎週火曜日には「震災の語りべ」がこの家で体験談を語ってくれるのだそうです。
「震災体験館」で阪神・淡路大震災の揺れを体験!
再び屋内に戻ると「震災体験館」があり、阪神・淡路大震災と同じ揺れが体験できました。
めっちゃこわ!
実は僕、東日本大震災も体験していないのです。その日はお気楽に鳥取あたりを旅していて、地震があったことさえ全く気付かなかったのです。
なので今までの人生で震度4までしか体験したことがなく、それ以上の地震への耐性はまったくありません。なので地震を忌避したい貴女、ずっと僕のそばにいればきっと大丈夫ですよ。
公園内にあったモニュメント。
これは「べっちゃないロック」。「べっちゃない」は淡路島の方言で「たいしたことない、大丈夫!」という意味で、地震に負けない、という地元の人々の思いが表現されています。
近くにある慰霊碑には淡路島北淡地区で犠牲となった39人の名前が刻まれていて、慰霊式典などがここで行われています。
帰り道、島の反対側に向かうため、北淡震災公園の先の山を越えて自転車をこいでいると頂上付近からは美しい棚田と北淡の町、その向こうに瀬戸内海が見えました、
あの朝、そんな出来事があったとは思えないほどの、この平和で静かな風景が、ずっと続くといいなと思いました。
<2021年11月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
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北淡震災記念公園への旅
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