天草のキリシタン関連スポットをバスでめぐろうと思っていたのです。
ところがコロナウィルスの影響で、天草島内の交通機関の時刻表が大きく変わっていたようで、予定していた船やバスを2度もミスしてしまうことになったのです。
そのため予定が大きく狂い、計画していた日程は絶望的かと思われたのですが、思わぬ伏兵を発見し、100点ではありませんでしたが、80点くらいのリカバリーができたのです。
それが「天草ぐるっと周遊バス」という定期観光バス。
しかもたった1000円でガイド付きの半日観光。すごくないですか、これって?
ミス① 島鉄フェリー(口之津港~鬼池港)
天草へのアクセスは熊本から天草五橋を渡っての陸路や長崎からのフェリーなど、いくつかのルートがありますが、今回僕が利用したのは長崎県南島原市の口之津港と天草の鬼池港を結ぶ「島鉄フェリー」。
前夜、諫早に泊まって、始発のバスで口之津港へやって来れば、その後もこんな感じで接続よく天草島内のバスを乗り継ぎ観光できるはずでした。
諫早発6:20==7:53口之津港8:00~~(フェリー)~~8:30鬼池港
鬼池港8:40==9:06本渡バスセンター9:30==10:14下田温泉10:20==10:51大江天主堂・・・
バスは予定通り口之津港に到着したのですが、ターミナルのすぐ横にあるはずのフェリーの姿が見えません。
出発は7分後なので、おかしいな、と思ってロビーに行ってみるとその事実が発覚しました。
コロナウィルスの影響で時刻変更が行われていて、8時ちょうど発の便がありません。
そのため鬼池港で乗るはずだったバスには間に合いませんが、これはどうしようもありません。
旅のミスには割り切りが必要なので、フェリーの中で頭を切り替えて、どう日程をリカバリーするか考えていると、すぐに天草の鬼池港に到着しました。
そんな僕を出迎えてくれたのは、天草四郎。
天童と言われ、16歳で島原の乱における一揆軍の最高指導者となった彼の姿を、このあと天草の至るところで見ることになります。
ミス② 天草路線バス(本渡~下田温泉)
鬼池港から予定より1本あとのバスに乗ったのですが、1時間程度の遅れなので、途中の滞在時間を短くすればまだまだリカバリー可能です。
本渡バスセンター発下田温泉行きのバスは2時間後なので、途中で1時間程度観光する余裕もできました。
そんなわけで当初は予定になかったのですが、急遽行けることになった天草キリシタン館。
ここの主役も天草四郎。島原・天草の乱で使用された武器や天草四郎陣中旗、キリシタン弾圧期の踏み絵、隠れキリシタンの生活が偲ばれるマリア観音など、約200点が展示されています。
すっかり天草四郎に惚れてしまって、こんなふうにつぶやいてみます。
天草にやってきた。
— 風祭哲哉 (@fuumayu7771) November 23, 2020
今日だけは、天草四郎と呼んでほしい。 pic.twitter.com/5lcbWfdFzx
誰も呼んでくれませんでしたが。
一帯は「殉教公園」とも呼ばれ、近くにはキリシタン墓地や天草にキリスト教を布教したアダム荒川の記念碑もありました。
キリシタン館からブラブラと本渡の町を歩きながらバスセンターに向かっていると、こんな銀天街を発見しました。
想像通り、中に入るとほぼシャッターが閉まっていましたが、こうした離島に(かつては賑やかだった)繁華街を発見するとなんだか心ときめきます。
キリシタン館も見られたし、本渡の町もゆっくり散策できたし、バスに乗り遅れるのも悪くないな
そんなふうに極めてポジティブな気分でバスターミナルに行ってみます。
このあとは11時30分発の下田温泉行きに乗ればいいと思って10分前に到着したのですが、これまた時間になってもバスが来ません。
時刻を確認すると、再びまさかの時刻変更!11時30分が11時15分に変更になってやがった!
頼むよ、九州産交バス!Webの時刻表にもうちょっとデカデカと書いておいてくれないか。
「天草ぐるっと周遊バス」現る
下田温泉行きの次のバスは2時間後。
このあと下田温泉で乗りかえて天草の西海岸に行って、世界遺産の崎津集落のあと大江天主堂を見ようと思っていたのですが、ちょっと両方めぐるのは厳しくなってきました。
さて、どうしようか、悩んでいたところ偶然発見したのが、この「天草ぐるっと周遊バス」。
これは天草宝島観光協会が企画し、九州産交バスなどに委託して実施している定期観光バスツアーなのですが、なんと1000円でガイド付きの半日バスツアーが楽しめる、超スグレモノ!(※有料施設の入場料は別)
「イルカウォッチング」や世界遺産の「天草の﨑津集落」に行く3つのコースがあるのですが、なんとほぼ僕の行きたかったコースをめぐる午後の便があるではないですか!
空いていれば当日申し込みもOK!ということで、奇跡のスーパーリカバリー!
やっぱ今日の俺、天草四郎と呼んでほしいわ…
このツアー専用バスは小型で定員20名ちょっとですが、今回はコロナウィルスの影響で定員は半分になっているのか、1人2席利用でゆったり。
そしてこんな感じでガイドさんが行く先々で案内してくれます。
最初に到着したのは、天草コレジヨ館。
「コレジヨ」とは、キリスト教の聖職者養成のための高等教育機関のこと。16世紀以降、天草に伝えられた南蛮文化の資料を多数展示していますが、天正年間日本人として初めてヨーロッパを旅行した4人の少年使節団(天正遣欧少年使節)が持ち帰ったグーテンベルク印刷機の複製がイチオシ。
もともとはここに来る予定はなかったので、来られたのはツアーのおかげですね。
世界文化遺産「天草の崎津集落」
そしてこのバスツアーのメイン、僕の今回の天草訪問のメインでもある「天草の崎津集落」へ。
ここではガイドさんの案内で1時間の散策をするのですが、最初に行ったのは「﨑津諏訪神社」。
禁教時代、﨑津の潜伏キリシタンは、この神社の氏子となり参拝の際には「あんめんりゆす」(アーメンデウス)と言って密かにおらしょ(祈り)を唱えていたそうです。
隣接する場所には木造だった旧﨑津教会の跡が残っています。
そしてこれがこの地区の象徴、現在の崎津教会。
教会建築で名高い鉄川与助によって設計され、尖塔の上に十字架を掲げた重厚なゴシック様式の教会で、堂内は国内でも数少ない畳敷きになっています。
今の崎津教会が建っている場所は、禁教期に絵踏みが行われた﨑津吉田庄屋役宅跡。これはキリシタン弾圧を象徴する場所に教会を建てたいというフランス人宣教師ハルブ神父の強い願いによるものだったと言います。
崎津教会の先にあるみなと屋(写真右)は﨑津に関する資料館。
また、崎津の集落にはトウヤと呼ばれる民家の軒と軒の間の海へと続く小路が続きます。
潜伏キリシタンが数多く潜んでいた﨑津ですが、1804年、村人2401名のうち1709名が潜伏キリシタンとして検挙され、自白調書により管理されるようになりました。崎津以外の近隣の村でも数多くの潜伏キリシタンが検挙されたこの事件は天草崩れと呼ばれています。
崎津集落が世界遺産になったのはこうした過去の歴史的な禁教期において仏教、神道、キリスト教が共存し、漁村特有の信仰形態を育んだ痕跡が残されていたからなのでしょう。
崎津の集落の外れからは海上マリア像が見えました。
地元の漁師が航海の安全と豊漁を願って祈る信仰のシンボルで、このマリア像に重なるように沈む夕陽は「天草夕陽八景」の一つとなっています。
大江天主堂と天草ロザリオ館
天草ぐるっと周遊バスの最後の訪問地は大江天主堂と天草ロザリオ館。
まずは天草でのかくれキリシタンの生活・信仰の様子や文化を伝える資料館、天草ロザリオ館を見学します。
大江天主堂は、キリスト教解禁後、天草で最も早く造られた教会で、1933年にフランス人宣教師ガルニエ神父が地元信者と協力して建立したロマネスク様式の教会。
ガルニエ神父は自らの生活は質素節約し、祖国フランスから送られてくる帰国費用も含め全ての財産をこの天主堂の建設に投じたと言われています。
このガルニエ神父にに会うためにやってきた、都会で暮らす5人の若者が与謝野鉄幹と北原白秋、平野万里、吉井勇、木下杢太郎(太田正雄)。
この時の旅の様子を与謝野鉄幹が記した紀行文が「五足の靴」。のちに彼らはその体験を基に「南蛮文学」と呼ばれる新しい日本文学のジャンルを生み出すことになりました。
ちなみにこの近くの下田温泉にその名をとった「五足のくつ」という旅館がありますが、これが素晴らしくしっぽりおこもり隠れ家的なところなんですよ。
この恋は是が非でもモノにしたい、という相手が現れたら、ぜひここで勝負に出てみてください。
白亜の美しい教会は穏やかな天草の秋の夕日に染まっていました。
「天草ぐるっと周遊バス」。崎津集落のあたりは団体行動ではなく、本当はもっとゆっくりしたかったけど、それ以外は十分満足でした。
1000円ではとてもじゃないけど採算が取れないので、おそらく自治体からの補助金が入っている特別なツアーなんだと思います。
だからいつまで続くかわからないけど、ぜひこのバスがあるうちに天草に来て、キリシタンスポットめぐりの旅に出るのもおすすめですよ。
<2020年11月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください。
天草キリシタンスポットへの旅
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