勇気をしぼってその小料理屋ののれんをくぐると、カウンター越しに予想外に若い女性が一人、所在なさげに佇んでいました。
店内には他に客はありません。
視線があった時、瞳の奥にちょっと戸惑いの漣がたったように見えましたが、彼女はすぐに少し不器用そうな笑顔を作ると、いらっしゃい、と僕を迎え入れてくれました。
知る人ぞ知る、島唄の名店、そんな話を聞いて僕はここにやって来たのです。
奄美を代表する唄い手、と言われる女将がここを一人で切り盛りしているはずでした。
地元の常連客で賑わう店に、一見の客として、しかもたった一人で入るのは苦手でした。
引き戸を開いた途端、目の前に奄美の男たちの方言が飛び交い、僕が飲んだこともない島の酒が盛大に酌み交わされている、という情景が広がることを覚悟していた僕は、驚いたというより、拍子抜けして、女性に導かれるままにカウンターに腰かけました。
今日はみんな野球の応援なの。
僕のそんな様子に気づいたのか、彼女は聞かれることなく自分から理由を話し始めました。
「大島高校が奄美で初めて甲子園に出たもんだから、みんな島から出て行っちゃったのよ」
「この店の女将も、常連さんも?」
彼女は、そうだ、というふうにあいまいな微笑みを僕に向けて、焼酎グラスを僕の前と、自分の前に二つ並べました。
「お母さんから、今日だけ店を任されて困ってたんだけど、よく考えたら今日はお客さんなんて本当は来るはずないのよね」
彼女はそう言って、カウンターから出て、引き戸を開けると、のれんを下げてしまいました。
私、ひとりで何人もなんて相手できないし、もうきっと誰も来ないからいいわよね、と彼女は独り言のように言うと、カウンターの僕の隣に座ったのでした。
「たいしたものはできないけど、今日は私にまかせてもらっていい?」
彼女も、彼女の母親(女将)も、それからもうずいぶん前に亡くなった彼女の父親も、そしてこの店の常連たち(そのほとんどが彼女の父親の友人)もみんな大島高校の出身だ、と彼女は話してくれました。
特に父親はその昔大島高校野球部のエースだった、ということもあり、女将は店の常連たちと連れ添って、意気揚々と甲子園に乗り込んで行ったということでした。
君は応援に行かなくていいの?という僕に、彼女はまたあいまいに微笑んで小さく首を振りました。
年は30代の半ばになる頃でしょうか、彼女は奄美のひとにしてはすっきりとした顔立ちでした。島焼酎を薄めの水割りで飲んではいましたが、上気した頬には、ほんのりと赤みがかかっていて、それが一層彼女の微笑みをあいまいにみせて、僕はその続きを聞くことができませんでした。
僕のロックグラスの中で、カラン、と氷が溶けて跳ねる音が聞こえました。
唄、うたいますか?
ひとしきりの沈黙が終わった後、彼女がそう切り出し、私のはお母さんみたいに島の伝統的なのとは違うけど、と言って三線を手を伸ばしました。
奄美三線の独特のシャープな音にのせて彼女が歌う唄は、難解な島の言葉ではなく、僕にも聴き取ることができるものでした。
音階も、琉球島唄のような特徴のあるものではありませんでしたが、時折あらわれる裏声と、独特のこぶし、そしてやはりどこか物哀しい三線の音が、僕をどこか遠い異国の地にいるような不思議な気持ちにさせるのでした。
これは島出身の中孝介さんの唄なの。
歌い終わると、彼女は一つ大きく息を吐いてそう話はじめました。
「花」という唄。とても綺麗な唄。
中さんは、東京でデビューする前に、この店で彼女の母親から島唄の教えを受けていたのだ、と言います。彼女はときどき店に来て、彼の唄を聞いていたということでした。
私、これしか唄えないの。ごめんなさいね。
彼女はそういうと、焼酎で喉をちょっと潤し、また小さな声でその唄を口ずさみはじめました。
酔いが回るほど焼酎を飲んでいたわけではありません。
でも気づくと僕は彼女の唄を聞きながら、いつの間にかカウンターで眠ってしまったようでした。
目覚めたときも、彼女は僕の隣で「花」を口ずさんでいました。彼女のほうから、なんだか甘く気だるい香りがして、僕の中の何かが麻痺したように、もうこのままここから動きたくない、という気持ちになりました。
今夜の船の出航時間まで、あと30分でした。急いでも間に合うかどうかフィフティフィフティです。
彼女はそれを見透かしたように、僕にこうつぶやきます。
今夜は二階が空いてるから、よかったら泊まっていってください。
島の時間はとってもゆっくり流れるから、急ぐことないですよ。
たくさん飲んで、たくさん唄って、そしてまた眠りたくなったら、眠ればいいんですから。
そう、今夜は私が花のように、あなたをすべて包んであげるから。
<了>
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