あるときはNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で、2024年からの新1万円札の顔となる「渋沢栄一」の出身地。
またあるときは人気ゆるキャラとして知られる「ふっかちゃん」の住む町。
それが埼玉の県北部にある深谷市なのです。
埼玉県も北部はほぼグンマーと言われている通り(褒め言葉です)、僕の群馬の実家からそう遠くはないのですが、実は一度もじっくりめぐったことがなかったので、行くなら話題の今でしょ!ってことで行ってみましたよ!
え、こんなところに東京駅?
・・・といきなりボケてみましたが、知ってましたよ、これ。わりと有名だもん。
そうなんです、深谷の玄関口である高崎線の深谷駅は東京駅を模して造られているのです。
その直接の理由は、東京駅は深谷で作られたレンガでできているからということなのですが、それに一枚かんでいるのが、生涯で500もの会社設立にかかわったと言われている深谷出身の実業家、渋沢栄一なのです。
渋沢くんに関してはまた後でじっくり語る機会がありますが、とにかく深谷にとって渋沢栄一は故郷の大大大偉人!
しかしそれに負けてないもう一人の偉人がこの方!
ふっかちゃんですなー。
これだけ有名になったので、ゆるキャラ(R)グランプリになっていると思いきや、実は本選では2位が最高成績で、1位になったのはゆるキャラ(R)forチルドレン(チルドレン部門)というなんだか中途半端な部門でだったようです。
でもまあ、故郷の偉人です。
そんな深谷をぐるっとめぐると結構な距離があるので、まずはレンタサイクルを借りに、中山道沿いの中山道深谷宿本舗というところにやってきました。
この古い蔵造りの家(酒蔵?)がちょっとしたギャラリーやアクセサリーショップになっていて、そこで電動自転車が借りられます(深谷市内に何カ所か貸出スポットがあります)。
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あかね通りでかつてのレンガ工場へ
自転車を借りていったん深谷駅に戻り、あかね通りという遊歩道を進みます。
このあかね通りは深谷駅とレンガ工場を結んでいた貨物専用線跡を遊歩道としたもの。
途中、貨物専用線が福川を渡っていた「旧福川鉄橋」が残されていますが、これは日本最古のプレートガーター橋として国指定産業遺産に指定されています。
深谷駅から4キロほどでかつて渋沢栄一が作った「日本煉瓦製造会社」があります。ここで作られたレンガが東京駅に使われていたんですね。
旧事務所は資料館となっていて、窯も見学できるのですが、なんと土日限定。平日のこの日は閉まってました、残念!
そのあと川沿い道をしばらく行くと誠之堂・清風亭があります。
誠之堂は渋沢栄一の喜寿(77歳)を記念して、栄一が初代頭取を務めた国立第一銀行の保養施設・清和園内に建築された建物を移築復元した重要文化財。
大広間で目を引くのがユニークなステンドグラス。
誠之堂の設計者であり当時の建築界の第一人者であった田辺淳吉によれば、これは中国漢代の「画像石」の図柄を模したもので、庶民貴人と侍者、それを饗応する歌舞奏者や厨房の人物たちの像は、栄一を貴人に見立て喜寿を祝う情景と考えられています。
外壁はやはりレンガ。
濃淡のある煉瓦がリズミカルに配置され、デザイン的にも秀逸ですね。
隣に建つ清風亭は、大正15年に当時の第一銀行頭取、佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、清和園内に誠之堂と並べて建てられましたものだそうです。
この建物も誠之堂と同様、保養所内に建てられた建物らしく大広間などが設けられていました。
渋沢栄一生家「中の家」、尾高惇忠生家へ
ここから先、若き栄一が学問を習うため従兄の尾高惇忠の家まで通った道「論語の道」およびその周辺の「論語の里」と呼ばれるエリアに向かいます。
実業家になる前の栄一が尊王攘夷の思想に染まるなったきっかけとなった従妹の尾高惇忠は、後に世界遺産である富岡製糸場の初代場長となる実業家。栄一も通ったその生家が「尾高惇忠生家」として残されています。
尾高惇忠の生家と渋沢栄一生家の中間あたりにあるのが渋沢栄一記念館。
ここの見どころは中の展示ではなく、実はこの銅像。
めちゃめちゃキュートな渋沢栄一じゃないっすか?
実はこれ結構真面目に作られた銅像なのですが、高さ約4mの立派な像がひっそりと裏手に追いやられてしまったのだそうです。
その理由は、実はこの像、元々深谷駅のロータリーに鎮座していました。しかし、この銅像、見るからに顔と身体のバランスが悪く、「偉大なる渋沢翁に相応しくないカッコ悪さ」と市民からクレームが殺到。そこで現在の坐像と交代させられ記念館の裏手に移されたのです。
新一万円の顔となる栄一の銅像、栄一になんら問題はないのですが、そのうち「ダサかっこいい」ことになるかもしれませんね。
Naoyuki金井:新一万円札の顔!深谷市「渋沢栄一」を知る日帰りモデルコース | 埼玉県 | LINEトラベルjp 旅行ガイド (travel.co.jp)
そしてついに渋沢栄一ゆかりの地「血洗島(ちあらいじま)」に入ります。
血洗島とはなんとも血なまぐさい地名ですが、その由来には諸説あり、赤城の山霊が他の山霊と戦って片腕をひしがれ、その傷口をこの地で洗ったという説や、八幡太郎義家の家臣が、戦いで切り落とされた片腕を洗ったところからその名がついたと言われています。
栄一の生家は「中の家(なかんち)」と呼ばれる立派な建物。
ん?この建物、どこかで見たことあるぞ?
それはここ。僕の育ったグンマーの藤岡市にある世界遺産「高山社跡」の建物。
よーく見ると結構違うところもありますが、どちらも屋根に「煙出し」と呼ばれる天窓のある典型的な養蚕農家の形を残していますね。
ちょうど梅の時期で庭にはきれいな花が咲いていました。
あれ?そこにいるのは栄一さん?
そうなんです、これは80歳頃の栄一の姿をイメージして制作したアンドロイド。大河ドラマ期間中は旧渋沢邸「中の家」の主屋において公開しているんだそうです。
「中の家」のすぐ近くにあるのが、血洗島の諏訪神社。
栄一はここで行われるお祭りが好きで、鎮守のお祭りには毎年欠かさず故郷に帰り参加していたそうで、晩年の栄一が地元の子供たちと映っている写真も残っています。
どんなに偉くなっても生まれ故郷の血洗島を愛していたんですね。
渋沢栄一「青天を衝け」深谷大河ドラマ館
最後に行ったのは大河ドラマ館。
「青天を衝け」の大河ドラマ館はこの深谷と栄一が長い間住んでいた東京北区の王子・飛鳥山にあります。
深谷の大河ドラマ館の前にいるのは、その渋沢栄一とふっかちゃんの深谷2大偉人!
すごいな、深谷のパワー!
もうこれだけでお腹いっぱいになっちゃいそうだけど、中に入ってみます。
館内は基本、血洗島のシーンで行われたロケに関するセットが展示されているのですが、中でも一番僕のハートをつかんだのが、これ。
こんな母っさまがほしかった!
はい、若き日の渋沢栄一の母親「渋沢ゑい」役の和久井映見さんです。
和久井映見、好きだったんですよ。いつの間にかお母さん役とかになっちゃって寂しいけど、考えてみれば僕もとっくにお父さん役(ただしナイスミドルに限る)の年頃ですからね。
え、大河ドラマ館レポそれだけかい!って思われるかもしれませんが、それだけです。これで目的は果たしました。
それ以上のことはぜひこちらで。
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深谷、結構見どころがありました。
半日以上かけてレンタサイクルで回り駅に戻ると、そこにはまた東京駅がありました。
どうせならこのまま中央線に乗って帰れると楽なんだけどな。
深谷の近くには人気の日帰り温泉が多いです
<2021年2月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください。
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深谷への旅
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