愛媛県の内子町は、木蝋(もくろう)や生糸などによって財をなした古い立派な商家が建ち並ぶ町並みがあり、近年は観光地としても知られています。
その古い町並みも素晴らしいのですが、内子にはもうひとつ「内子の屋根つき橋」と呼ばれる特徴的な橋がいくつかあり、あまり知られていないながらも、ずっと前から僕の「行きたい場所リスト」に書かれていたのです。
そこで2回目の内子は、この屋根付き橋をメインに訪問してみました。
奥が深いぞ、内子の古い町並み
JR内子駅は松山から特急で約25分と近く、高架の比較的新しい駅舎となっています。
芸術・芸能を愛好する内子の豪商たちが建てた劇場、内子座が町の中心にあり、内子のシンボル的な建物です。
木造2階建てで回り舞台や花道、枡席などを整えた劇場で、当初は芝居などが上映されていましたが、その後映画館などに改装され、最後は老朽化のため取り壊されそうになりましたが、町並保存運動が高まったこともあり、昭和60年に復原され、劇場として再出発、今では、町内外の芸術文化活動の拠点として活用されているそうです。
今回はあまり時間がなかったので中には入りませんでしたが、徳島の脇町オデオン座、秋田・小坂の康楽館など、こういう劇場がある町並みはどこも風情がありますよね。
これは江戸から明治時代の商家を活用した「商いと暮らし博物館」。
内子が奥深いのは、このメイン通りのさらに奥に、もっとすごい町並みが続いているというところです。
このあたりは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている八日市・護国の町並みと言います。
町並みの真ん中くらいにある、本芳我家住宅と大村家住宅。
木蝋(もくろう)の生産で財をなした本芳我(ほんはが)家の主屋は明治22年に建てられた、なまこ壁の黄色い建物。
その隣りの白壁の建物は、内子最古級の町家、大村家住宅で1793年に建てられたもの。
スゴイじゃないか、内子町、奥が深い!
しかし今回のメインはここじゃないのでいったん内子駅に戻ります。
正式名称は「河内の屋根付き橋(田丸橋)」
内子駅前から町営のバスに乗り、古い商店や住宅街が続く内子の生活道を経由しながら次第に山深くへと入っていきます。
この時は前日まで台風が来ていたので、山間部にはかなりの雨が降ったのでしょう。本来は春の小川のようなおだやかなはずの川には、濁流が渦巻いています。
バスは、切り立った崖が道幅いっぱいまで迫っている道を右へ左へと進むので、台風で緩んだ地盤から土砂崩れが起こらないようにちょっとだけ祈っていました。
内子のガイドを見ても、屋根付き橋までのバスでの行き方はどこにも案内されていないので(そもそもバスで行く人はいないのかもしれませんが)、運転手に聞くと、下河内のバス停で降りなさい、とのことでした。
なので僕が内子のガイドブックに変わってお教えしましょう。
内子の屋根付き橋へバスで行く方、内子町営バス「石畳の宿」行きに乗って下河内で降りてください。
すぐ目の前です。料金はたぶん280円くらいだったかな。
屋根付き橋への降りる道の入り口には、ちゃんと案内板もありました。
正式には、河内にある田丸橋という屋根付き橋なんですね。
内子には実は屋根付き橋が5つもあり、今回は行けませんでしたが、このずっと上流にも「弓削神社の太鼓橋」という有名な屋根付き橋があるそうです。
そして念願の屋根付き橋へ
さて、念願の屋根付き橋。
上から下りて行くと、川面がみえないので橋というより小屋のように見えますね。
しかし近づくと、やがて川面が見え、古い木造の橋であることがわかります。
雨上がりの緑が、素晴らしいですね。
橋の上から見ると、やはり台風のあとなので結構な濁流ですね。
こんな古い木の橋だと流されないか心配でしたが、実は遠くから見ると橋脚は川の流れには接しておらず、両側の土手に「ふわり」と接しているのだそうです。これも洪水から守るための工夫なんでしょう。
橋の屋根には昔の橋の様子を描いたこんな絵が飾られていました。
昔、ここは橋であると同時に物置だったり、井戸端会議の場所だったりしたようです。
遠景。
春の小川のような、穏やかな晴れた日もいいのでしょうが、今日みたいな荒天明けの幽玄な感じも、なかなか絵になる内子の屋根付き橋でした。
<2015年7月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
内子の屋根付き橋の基本情報
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