青森県下北半島の仏ヶ浦といえば「船で行ける極楽浄土」と言われる絶景の秘境。
極楽浄土だし、その名前からして、穏やかな海の上を優雅にクルージングしながら行く場所だと思っていました。
しかしこの日はどうも様子が違って遊覧どころか命懸け、揺れるのなんの南野陽子!
ちょっとパンフレットとかWebサイトのイメージとギャップがありすぎるぞ、仏ヶ浦!
船で行ける極楽浄土、仏ヶ浦
仏ヶ浦は、斧の形をした下北半島の真ん中、一番切れ味鋭そうなあたりに白緑色の奇岩が約2kmにわたって連なる絶景スポット。
長年の風雨と波により削られてできた巨岩群は日本の秘境百選にも選ばれていて、その神秘的な世界はまるで極楽浄土のようだと言われています。
おおおおお、こりゃースゲーや仏ヶ浦!
と思ったわけです、初めて写真を見たときは。
この仏ヶ浦は、海に切り立った厳しい断崖絶壁そのもの。陸路からのアクセスだと、はるか高い崖の上から海辺まで往復することになるため、船でのアクセスが便利でよい、と聞いていました。
そんなわけで大間に泊まった翌朝、仏ヶ浦観光遊覧船に乗ることにして、念のため予約の電話を入れてみると、電話に出たおじさんからは予想外の答えが。
今日は波が高いからまだ出航するか決めとらんよー
え、めっちゃいい天気なんですけど!
出航の30分前くらいに最終判断するから、もう一度電話してもらっていいかな?
確かに朝、大間港を散歩したとき、風はめちゃんこ強かったんですよね。
仏ヶ浦遊覧船が出るのは大間から10キロほど南にある佐井村からなので、30分前に出航が決まってから向かっても間に合いません。
レンタカーを借りて、陸路から攻めるか迷ったのですが、天気も悪くないしなんとかなるだろう、と思ってとりあえず佐井に向かったのでした。
まるで波照間航路のような命懸けクルーズ
乗り場となっている佐井村の「津軽海峡文化館アルサス」までバスで行き、チケット売り場に行ってみると、どうやら出航する様子。
ただし、万一遊覧船がダメだったら日程を変えて乗ってしまおうと思っていた青森行きのフェリーは欠航となっています。
天候調査してるくらいなので多少は揺れるかな、と思って念のため酔い止めを飲んで船へと乗り込みます(結果、これが大正解でした)。
本来は30分かけて仏ヶ浦に行き、30分ほど上陸観光をし、再び30分かけて帰ってくるのですが、この日は上陸はなし、という条件付き運航。とてもじゃないけど岸に着けられる状態ではないようです。
・・・ということは乗ってすぐにわかりました。
揺れるのなんの、南野陽子!
あれ?このフレーズ、前にもどこかで使ったな・・・(正確には誰かが使っていたのをパクったのですが)
波照間だ!
そう、あの悪航路として名高い、日本最南端の離島行き、波照間航路を思い出すくらい船は激しく上下し、まさに命懸けのクルーズとなってしまったのです。
まずはこれをご覧いただきましょう!
ハイウェイスターとかBGMにして楽しそうなVTRにしましたが、めっちゃ怖かったです、実際は。
僕の後ろにカップルがいてこんな会話が聞こえてきました。
前に波照間島に行ったとき、めちゃ揺れてジェットコースターみたいでマジ楽しかったけど、これそれ以来だわ
この船、バンバン跳ねたりときどきモロ横波きてるんだけど、大丈夫?
よゆーよゆー!あの波照間でも大丈夫だったので…(ドーン!)うぁぁぁ!これちょっとキテるね。。。
(ドーン!)きゃー、でも沈没する心配ないならスリル満点で楽しいかも!
・・・・・・(おにーちゃん、沈没)
まあ、運が悪かったんだと思いますよ。
想像してた仏ヶ浦クルーズはこんな感じでしたから。
しかし実際は、屋根の上になんかとてもじゃないけど登れず。
ということで、仏ヶ浦に上陸したつもりで青森県観光連盟さまご提供のイメージ画像をご堪能ください!
いやー、素晴らしいところですよ仏ヶ浦、おそらく。
でも運航するかどうか天候調査してるときは「たとえ出航したとしても酔い止めと心の覚悟が必要である」ことを絶叫クルーズ経験者としてみなさまにお伝えしておきます。
ちなみに戻ってみたら午後のクルーズは早々と欠航になってました。そりゃそうや。
旧三上家住宅で三上剛太郎先生に触れる
下船後、路線バスで再び大間に戻る予定でしたが、バス停に行ってみるとなんと乗ろうとしていたバスは土曜日は運休だったことがわかりました。
げ、やっちまったぜ!
「日本に恋する伝道師」でもときどきこーゆーことあるさ、ヘイヘーイ!
大間から函館までのフェリーに乗るには次のバスでは間に合わないため、急遽大間からタクシーを呼ぶことにして、それまでの時間、佐井村の小さな町を散歩してみることにしました。
路地を歩いていると、ひときわ立派な構えの家があり、「三上剛太郎生家」と案内が出ています。
ここはかつて佐井の村医として慕われた三上剛太郎先生の医院跡「旧三上家住宅」という青森県の指定有形文化財でした。
僕以外誰も訪問者のいない静かな屋内に入ると、この建物の事務職兼ガイドをやっているのでしょうか、奥の方に年配の女性がいて、どうぞおあがりください、と僕に声をかけました。
こんな感じのシーン、今までも何回かあったあったような気がします。
誰もいない小さな無料の資料館とか記念館に迷い込んで、そこにいたガイドさんと二人っきりになってしまう。
最初は遠くからなんとなく遠慮がちに説明を始めるガイドさんの話にうなづいたり質問したりしていると、いつの間にか寄り添ってきたガイドさんの本格的な説明が始まる・・・
佐井村に生まれた医師、三上剛太郎先生は、日露戦争時に軍医として満州へ渡りました。
現地の包帯所で負傷兵の手当をしていたとき、ロシア兵に囲まれ全滅の危機に瀕したのですが、剛太郎はジュネーブ条約に基づく赤十字の精神に従い「手縫いの赤十字旗」を包帯所に掲げ、それを見たロシア兵は攻撃の手を止めたと言われています。
1963年、スイスのジュネーブで開催された赤十字100周年記念博覧会では、敵味方問わず多くの兵士を救ったこの「手縫いの赤十字旗」が展示され、世界の人々に深い感動与えたそうです。
そんな話、全然知りませんでした。
きっと一人ならばさっと見終わってしまい、おそらくほとんど何も記憶に刻印されないまま帰ってしまったことでしょう。
晩年は佐井村の村医として慕われた剛太郎ですが、当時としては最先端のドイツ製レントゲンをはじめとする医療機器を揃えていたようで、それらも多数展示されていました。
彼女が小さい頃はまだご存命だったのでしょう。「剛太郎先生は・・・」「剛太郎先生が・・・」と話すガイドさんが、郷土の偉人を心から慕っているのが感じられました。
旅にはときどきこういう偶然もあります。ハプニングもまた旅ですね。
<2020年9月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
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