「未開の地グンマー」と呼ばれる群馬の中でも筋金入りの山奥、「日本のチベット」と言われているのが、県の南西部を占める奥多野と呼ばれる地域。
その入口にある神流(かんな)町で、毎年GWに行われるのが「かんな鯉のぼり祭り」。
僕的にはとてもいいお祭りだと思うのですが、このこいのぼりたち、とても口下手なため、このお祭りはあまり知られていません。そこで今回、僕が彼らを代弁して大々的にPRしてみましょう!
※残念ながら2020年は中止となりました。来年ぜひ行ってあげてください!
日本のチベット、グンマーの奥多野へ
あまりにも山深いため「日本のチベット」と呼ばれる地域は全国にたくさんありますが、「日本3大チベット」とは「徳島県の奥祖谷」「宮崎県の椎葉村」そしてこの「グンマーの奥多野」を指しているのだと言います(※2020風祭チベット研究所調べ、テキトー)。
実はここ、僕の実家から近いのです。
というか僕の実家のある藤岡市がこの奥多野からはるばる山を下りてきた場所にある、最初のBIGでGREATな町なのです。
1985年、日航ジャンボ機が墜落したあの御巣鷹山が、この奥多野の一番奥の方にある、と説明すればイメージわきますかね。
幾重にも重なった山々が延々と続く中、わずかな谷間の平地に人々が細々と暮らしているところ、それが奥多野の特徴です。
東西に細長い奥多野のちょうど真ん中あたりに神流(かんな)町とよばれる小さな町があります。
長野県境を源流として、奥多野地域を流れる神流川(かんながわ)からとられた名前です。
この神流町の中心部では、5月になると対岸の山と町側に長いロープを張って、神流川の上に大きなこいのぼりを泳がせるのです。
神流町の中心部まで僕の実家から30数キロ。
山の中を延々と進むので、心理的にはかりの距離感があるのですが、数字的にみるとさほど遠いところではありません。
クルマで行けば1時間足らずなのですが、今日はあえて路線バスでチャレンジしてみました。
高崎線の新町駅から藤岡市を経由して奥多野方面に向かうバスは「かんながわ号」と名付けられていて、2時間30分もの長距離バス旅が楽しめる、知る人ぞ知る路線バス。
そう、路線バス好きの僕は、一度このバスに乗ってみたかったのです。
かんながわ号には土日休日は1日フリーパスがあって、これがお得なのです。
全線乗ると片道2000円以上かかるのですが、このフリーパスは1500円。今回の区間を往復するだけでも十分オトクなのです。
今回は時間の関係で最奥地の上野村には行かなかったのですが、この先にも恐竜の足跡とか不二洞と呼ばれる関東一の鍾乳洞があるので、おすすめですよ!
さて、バスは今は合併して僕の住む藤岡市の一部となっていますが、かつては「鬼石町(おにしまち)」と呼ばれた町の中心街を抜けると急な坂道を登り始めます。
やがて見えてくるのが「下久保ダム」。
ここが奥多野の入り口で、バスは神流川をせき止めてできたダム湖の複雑な入り江に沿って20分ほど進み、だんだんと湖幅が狭くなり、神流川がまた元の清流に戻ると、神流町の中心部、万場バスターミナルに到着します。
「かんな鯉のぼり祭り」のはじまり
バス停からそのまま川のほうへ進み、やがて神流川にかかる橋の上に出ると、目の前に見えてきました。数えきれないくらいの、たくさんのこいのぼりが。
うぉー、これがずっと見たかった川を渡るこいのぼりだー!
このとき僕は、このこいのぼり群を見るのは初めてだとすっかり思い込んで、しきりに感動していたのですが、あとでFBでつぶやくと、地元の友達に「昔行ったよねー」と言われてしまいました。
うーん、そういえば昔、浪人時代に予備校にも行かず原チャリ乗り回して群馬のいろんなところに行きまくってたような気もするなあ。
しかしまあ、とにかくこのこいのぼり群、素晴らしいんですよ。
神流町の鯉のぼり祭りは、今から30年以上前に、町内の有志が町の中心を流れる神流川の上に2本のワイヤーロープに張って鯉のぼりを100匹ずつ揚げたのが始まりなんだそうです。その後、年を重ねる毎にその数が増え、現在では8本のワイヤーロープに800匹のこいのぼりが泳いでいます。
よく見ると人の名前が書いてあるこいのぼりがありますね。
町の子供の名前かなにかかなあ、と思っていたのですが、なにやら見たことある文字が。
「ふるさとチョイス」
これ、いわゆる「ふるさと納税」のポータルサイトの名前ですね。。。
どうやらこの神流町ではふるさと納税を行うと、「世界で一つの鯉のぼり」と称して、名前入りのこいのぼりを3年間、このお祭り期間中に掲揚してくれたのだそうです。(僕が行った当時の話、現在は募集していないようです)
ふるさと納税の返礼品合戦は、賛否両論ありますが、この形はすごくいいですね。
おとうさんやおかあさん、おじいちゃんやおばあちゃんが神流町にふるさと納税を寄付して、子供や孫の名前が入ったこいのぼりが空高く泳ぐ。
そしてそれを毎年5月に家族みんなで見に来る。
実際にそんな姿も見かけました。
両親とおじいちゃん、おばあちゃんに連れられた小さな子供が、「あったー!○○のこいのぼりがあったー!」と喜んでる姿を。
なんか、感動しました。
すごくいいお祭りだなあー。
ディープな神流町の散策も
神流町の中心部は、こいのぼり祭りの会場のすぐ横にあります。
合併前は「万場町(まんばまち)」と呼ばれた中心部。
全国8位の限界集落、人口は約2000人、コンビニもスーパーもありません。
でも、なんかいいですね。ホッとします。
せっかくなので町はずれまでブラブラ歩いてみます。
おっと、すごいポスター発見!
保守王国、群馬を象徴するようなポスターですが、いったい何年前のもの?って感じです。
のちに首相になる福田康夫さんの写真がまだめちゃくちゃ若いですよ。
結局このポスターには群馬が生んだ4人の首相が写っていることになりますが、そのうち2人は僕の高校の先輩で、2人は僕の遠い親戚かもしれません。。。。。
おっとすごい高校を発見!
こんな山の中にまだ高校が残っていることもすごいのですが、この万場高校(まんばこうこう)、「日本三大省略してはいけない高校名」のひとつなのです。
ま、それは冗談ですが、こんな素晴らしい環境の中にある高校には、まだ頑張ってほしいですね。
生徒数も減少の一途かと思いますが、隠岐の島前高校みたいな過疎を逆手にとった成功例もあるので、なんとか生き残れよ!
さて、多くの鯉のぼりを一斉に上げる催しは他地域にもあったようですが、それをお祭りとして地域の活性化に結びつけたのは神流町が元祖と言われています。
しかしこの「かんな鯉のぼり祭り」、日本一口下手なようで、まだあまり知られていないのです。
ちょっともどかしいような気もするのですが、あまり有名になりすぎて人が殺到するのも、のんびりした町の雰囲気に合わないような気もします。
でも、僕が今まで見てきたどんなこいのぼり祭りよりも、ここのこいのぼりは生き生きと泳いでるような気がしました。
<2016年4月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
かんな鯉のぼり祭りの基本情報
かんなのこいのぼり祭りへの旅
コメント
僕の母方の故郷が藤岡です。鬼石から下久保ダムを過ぎると寂れてしまい、道路も細くなりますよね。でもその途中途中の集落が味わいがあり、万場、中里(現在は神流町)、上野村はそれぞれいいところです。不二洞などにも行きました。
うちはまだ母親が藤岡にいるのでときどき帰っています。
奥多野はいいですね。いつ行っても冒険感がありますね!