セトゲーこと、瀬戸内国際芸術祭。
僕は瀬戸内の美しい島々を舞台に3年に一度開催される、この現代アートの祭典が大好きなのです。
娘がまだ小さいとき、夏休みに苗場とか越後湯沢とか上越国際とか、よく新潟の高原に泊まりに行っていたのですが、その時にたまたま触れた「越後妻有 大地の芸術祭」という、広大な里山の自然を活かして行われていたアートの祭典に出会ったことで、右脳の奥深くでぐーぐー眠っていたクリエイティブ感性がガツン!と刺激を受け、それ以来、我が家はすっかり現代アートに目覚めてしまったのです。
その大地の芸術祭の海洋バージョンが、このセトゲーだということで、初めての訪問が前回の2013年。
今回は待ちに待った2回目、ただいまーセトゲー!という感じの、3年ぶりの訪問です。
2016年は秋会期のセトゲーへ
今回は、前回のセトゲーとはちょっと趣を変えて10月8日から始まる秋会期に来てみたのでした。
夏の容赦ない日差しの下で、汗をダラダラ流しながら、アートを巡って小さな島の細くて急な坂道を登り下りするのもセトゲーの醍醐味なのですが、実はこの秋会期にしか芸術祭が開催されない島々もあるからなのです。
セトゲーでは直島や小豆島といったこの芸術祭のメインになるような有名な島々を「東の島」と呼ぶのに対して、秋または春の短い会期でのみ開催される小さな島々を「西の島」と呼んでいます(もちろん地理的にも名前の通り東と西に分かれています)。
この西の島々、セトゲーがなければ、日本人の99.9%が名前も聞くこともなく、99.999%の人は生涯で一度も訪れることがないような島に違いありません。
でもセトゲーのよさはこういう小さい島にあるのです。
それを前回の訪問で知った僕たちは、今度はぜひ西の島々に行ってみたい、と思っていたのでした。
東京から気合入れて夜行バスで岡山まで来て、そこからJRで瀬戸大橋を越えて四国に入り、列車を降りたのはこの詫間という駅。
場所的には丸亀と観音寺の間くらいですかね。
高松からJRで松山に向かう途中、車窓からきれいな瀬戸内海が見える区間がありますが、まさにそのあたりです。
この詫間駅から芸術祭の期間中は無料のシャトルバスで結ばれている須田港へ。
ここから西の島の最初の一つ、粟島に渡ります。
桟橋もセトゲー仕様になってますね。
この青。かなりウキウキしてきました!
高速船でほんの15分ほど。
鮮やかなエメラルドグリーンの建物が見えてくると、そこはもう粟島の港です。
船を降りると、粟島の小さな港の前の広場では、なにやら式典のようなものが。
そう、この日はセトゲーの秋会期の初日であり、この粟島にとっては、まさに3年ぶりの大イベントの開幕日。なおかつ僕らの乗った船が、セトゲーを見に来る観光客が乗ってくる最初の船だったので、その時間に合わせて記念式典をやっていたのでしょう。
船を降りた僕たちにも風船が渡され、式典のテープカットが行われると同時に風船を飛ばします。
たくさんの風船が揺ら揺らと、ゆっくりと、秋色の空に吸い込まれていきます。
こののんきな感じ、瀬戸内に帰ってきたなあ、と実感します。
粟島は人口約250人。
3つの島が潮の流れでつながってひとつづきになったため、スクリューのような形をしています。
比較的起伏の少ない中央部に主要なアートや建物が固まっているので、島内は徒歩で移動できるほどの距離。
港の近くにある島のコンビニ的なお店。
島の人々も、こうしてたくさんの観光客を迎えるのは今日が3年ぶりとなるので、まだちょっと緊張が残っていてぎこちない感じ。
そのうちだんだん慣れてくるんだと思いますが、島のおじちゃんおばちゃんは基本はみんなシャイなんでしょう。
日本最古の海員養成学校「粟島海洋記念館」
さて、粟島といえば、日本で最古の海員養成学校が作られた島。
まだあどけなさを残す少年たちがかつては全国からここにやって来て、世界の大海へと旅立っていったのでした。
船から見えたこの鮮やかなエメラルドグリーンの建物が「粟島海洋記念館」。もとの国立粟島海員学校跡です。
この建物の中で展開されているアートが日比野克彦さんの瀬戸内海底探査船美術館プロジェクト。
これは海底から引き揚げられたものを展示する美術館「ソコソコ想像所」。
このアートを外人さんが一生懸命スケッチしています。
セトゲーの特徴はアジア系ではなく西欧系の外国人観光客が多いことですね。
かつての海員学校の教室は資料館となっています。
ここでは「むかし粟島ボーイ」がガイド役。
かつて海員学校の生活や卒業生たちが訪れた世界の国々、港々のことが展示されています。
教室跡には海の遺物をテーマにした作品がいくつか続きます。
校庭に出てみると貝殻でできた朝礼台と校旗掲揚ポールが。
この校舎や校庭のすぐ横にコテージのようなものがあるのですが、これがル・ポール粟島と呼ばれる宿泊施設。
最初は島に泊まるのもいいかなあ、とこのコテージに1泊するつもりだったんですが、結局は日程の関係で高松に変更してしまったのです。
でもこんなにアートに近いのであれば、やっぱり無理してでもここに泊まるべきだったかなあ、とちょっと後悔ですね。
瀬戸の花嫁~誰かのための染物屋
粟島海洋記念館でさっそく予想外に長い時間を過ごしてしまったので、先を急ぎます。
あとから考えると、アートの内容的にはこの粟島が一番濃かったんですね。
ここでの滞在時間は5時間以上とってあったのですが、結果的にギリギリ間に合ったかな、という感じでした。
島の中央部に進むとあるのが、かつての粟島中学校、現在は「日々の笑学校/粟島研究所」。
ここは粟島に集う若手芸術家らの作品が旧校舎のさまざまな場所に展示されています。
名前の通りディレクターはあの日比野克彦さん。
そんななか、一番僕の心に刺さったのが、このプロジェクト。
ウェディングドレスを着て、島のあちこちで微笑むおかあさんたち(と、その横のおとうさんたち)の写真。
これは「粟島の女性が年齢に関係なく若々しくいられるための節目に着るドレス」として発注されたものなんだそうです。
このドレスを発注した人は「島の誰か」なのでしょう。
「私が一番着てほしい人は、ヒガキミチコさん、次に栗田ヒロミさん、朝倉竹子さん・・・」と注文書にあります。
そう、ここは誰かのために誰かが注文した布製品を作ってくれる場所なのです。
お代はその人にまつわるエピソードのみ。
瀬戸は日暮れて 夕波小波
あなたの島へ お嫁にゆくの
若いと誰もが 心配するけれど
愛があるから 大丈夫なの
瀬戸の花嫁 作詞:山上路夫
ずっと昔、もしかするとこのおかあさんたちも「瀬戸の花嫁」としてこの島にお嫁入りしてきたのかもしれません。
小さな船に身の回りのものだけを載せて、自分の生まれた島から、この粟島へと。
だからその時着られなかった鮮やかな明るい色のドレスを着ることができて、こんないい笑顔なんでしょうか。
すごくいいプロジェクトですよね。
瀬戸の花嫁・・・ちょっと古いですけどね(笑)
日々の笑学校の講堂に行ってみるとそこにあったのはお面のアート。
小さいお面は自由にかぶったりできるのですが、大きくて不思議なお面もたくさん。
オモテ面がこの強面のおじさんみたいなのは、なんと粟島神社のお面。
ウラ面はこんなんなってます。
「私は粟島神社。伝統守る強い意思」
とか意外とかわいーでやんの。
トイレでも遊んでますね、この芸術家村の住人は。
これもアートかと思ったら、どうやらこれはこのネコのお家みたいです。
旧粟島中学校から出るとやがて道の両側に狭い田畑が現れ「漂流郵便局」という案内板が。
そう、今回のセトゲーで、僕が一番行きたかった「漂流郵便局」。
これは別途こちらに書きました。
<2016年10月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
粟島への旅
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