毎年7月下旬の週末に、静岡県の旧東海道新居宿で行なわれる「遠州新居の手筒花火」は、東海道随一の奇祭と呼ばれています。
手筒花火と言えば愛知県の豊橋が有名で、同じく毎年7月に行われる「豊橋祇園祭」には多くの観光客が集まりますが、この新居の手筒花火も小さいながらも極めて土俗的で、迫力ある独特のお祭りでした。
遠州新居手筒花火の正式名称は「諏訪神社奉納煙火祭礼」
東海道新居宿は東海道3大関所といわれた新居関があった場所。
この新居の関所跡の先の突き当たりを左に曲がったあたりが新居の宿場町の中心部となり「遠州新居の手筒花火」は、ここ新居の「諏訪神社奉納煙火祭礼」というお祭りのことを言います。
お祭りのスタートまでまだ時間があったのですが、町内にできている集会場には威勢のよさそうなおにーちゃんたちがスタンバってますね。
18時近くになると、各町内で笛と太鼓が鳴り響き、やがて煙火会場へ向かって進み始めます。
この遠州新居の手筒花火は町内6つの地区の役人(やくびと)により運営されているのだそうです。
これは中街(仲町)って書いてあるんでしょうかね。
今日の花火会場である「新居中学校」向かう通り沿い。
このお祭りは毎年7月下旬の金曜から日曜まで行われているのですが、2日目の土曜日が前夜祭と呼ばれていて、花火の打ち上げは2回目。
1日目金曜日の花火は「試み」とよばれ、その年の花火の具合を見るために試験的、練習的に出す花火なのだそうですが、練習とはいえかなり規模の大きなもので本番に近い迫力があるため、ここにも大勢の現物人が訪れるのだそうです。
そして今日、2日目が花火の本番である前夜祭。
明日の3日目が本祭と呼ばれるものなのですが、花火は行われずお神輿が町内を練り歩くのだそうです。
いずれにせよ、今日これから行われる2日目の夜が一番のクライマックスです。
2日目の前夜祭は、午後6時にこの諏訪神社の神主から「斎火」とよばれる手筒花火の点火に使われる火がおこされることによりスタートするのだそうですが、このシーンはパスして早めに会場に向かいます。
前夜祭会場は「新居中学校」
前夜祭会場の新居中学校は、諏訪神社横の坂道を登った先、町を見下ろす高台の上にありました。
校庭を半分に仕切って、花火会場と観客席(というよりただの校庭)に分けています。
写真の木でできた台のようなものは「ヤマ」と呼ばれる花火を点火する場所だそうです。
会場には万一のときのための消防車が一台。校庭にもともとある石段が、いい感じのスタンド席になっていますね。
やがて町を練り歩いた各町の笛太鼓が7時15分の開始に向けて次々とやってきます。
これが諏訪神社の神殿でおこされた「斎火」でしょうか、火縄のようなものが各町の役人に移されているようです。
そして7時を過ぎ、あたりがようやく夏の遅い夕暮れに包まれはじめる頃、唐突に何発かの打ち上げ花火があがり、櫓の上の手筒花火から豪快に火の花が噴き出しはじめます。
遠州新居手筒花火のハイライトは「猿田彦」
遠州新居の手筒花火の前夜祭(=本番)はやぐらの上から出す花火で始まります。
やぐらの上からとはいえ、手筒花火なのでもちろん手持ち。
3つのやぐらで各町の手筒花火が次々と点火されていきます。
この花火をもつ人々は消費者と呼ばれているそうです。
彼らは自分でこの手筒花火をつくり、自分で消費(=点火)するのだそうです。
やぐらの上での花火がしばらく続き、8時を過ぎた頃からこの日のメインイベントが。
それは「猿田彦」と呼ばれる煙火。
「猿田彦」とは新居の猪鼻湖神社(現在の諏訪神社)に祭られている猿田彦神のこと。
天照大神が天の岩戸から出られるとき、猿田彦大神が、たいまつをかざし道案内を務めたという伝説が元になっています。
これは新居の上西町が独自に行う花火で、腹にしみ込む太鼓とほら貝のリズムに乗って町の男衆が松明に見立てた手筒花火を手に輪になってぐるぐるとまわり続けるのです。
かつてはこれを上西町内でやっていたのだそうですが、危険防止のため、今はこの校庭で行われるようになったのだそうです。
しかしこの猿田彦の男衆の振る舞い、なんと土俗的なことか。
火とともに踊りながら、みんな楽しくってしょうがない、という笑顔なのです。
ときどき、火薬で花火の底が抜けるのでしょうか、「ボンッ!」という大きな爆発音が響き渡るのですが、そんなのおかまいなし。
みんな平気な顔をして次の花火を持ってすぐに踊り始めます。
猿田彦煙火の終わりには、男衆みんなが集まってほら貝と太鼓に合わせて煙火囃子を唄っています。
遠州新居の手筒花火を東海道随一の奇祭、と呼ぶ人もいますが、手筒花火ではないにせよ、昔はこうした豪快で土俗的なお祭りはたくさんあったんだと思います。
ただ安全や風紀その他いろいろな制約が出てきたことにより、美しいけど毒もない、より近代的で効率的なお祭りに変わってしまったのでしょう。
今見ているこの手筒花火でさえ、昔から比べればかなり毒を抜かれたものなんだとは思いますが、それでもまだこんな日本が残っていたんだ、ということを、素直にうれしく思いました。
祭りのあとの新居もいい
猿田彦が終わると半分くらいの観客は帰り始めます。
このあともプログラムは続くのですが、この猿田彦がこのお祭りのメインイベントなのでしょう。
この前を歩くお兄さんが手にしているのが使い終わった手筒花火。
こうしてきちんと持ち帰る、ということはまた来年もこの手筒を使うのでしょうか。
花火がはじまっても、最初はそれほど混雑していなかったのですが、猿田彦がはじまる頃にはいつの間にか会場にたくさんの人が駆けつけていたようでした。
おそらくそのほとんどは地元周辺の人なのでしょう。だから慌てることなくメインの時間に合わせて集まってきたのだと思います。
帰りの参道は、さながら新居町の人々の、年一回の同窓会状態です。
こんなに特徴あるお祭りなのに、意外にもこのお祭りには地域の外からの観光客はほどんどいないような気がしました。
外に向けてあまり積極的に宣伝しているようにも見えないので、町の人々はむしろそれでいい、と思っているのかもしれません。
祭りの夜は親戚縁者、ご近所隣組みんなが集まって庭でワイワイ食事をしたり花火をしたり。
ずっと昔から続いてきたお祭りの姿がここにはあるような気がしました。
そう考えると、静かにこのまま、ずっとこの形を残していってほしいお祭りだと思いました。
<2016年7月訪問> 最新の情報は公式サイト等でご確認ください
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遠州新居手筒花火への旅
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